修行僧やベテランはなぜ坐禅中に眠るのかと坐禅中・瞑想中に眠くならない方法 【注意】 管理人の過激発言があります

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この記事は一部削除する可能性があります  僧堂生活のネタバレもあります 坐禅中や瞑想中に眠くなる人・眠っている人がなぜこうも多いのだろうかーてか、わたしもそうでしたーその問題を解決すべく色々試行錯誤していて解決方法を見出したので、発表します 目新しいことはないかもしれませんが、お役に立てる内容もあるかもしれません
ただ、過激発言もあります 自分が坐禅瞑想中に眠っていることに全く気づいていないからです
新しく坐禅される方々には、そういうようになって欲しくないからです

座禅経験がほぼゼロという人に

坐禅は必ず目を開いて行ないます。

座禅体験がないと逆に「正しい坐禅」がすぐに手に入ります。
ゴルフを我流でやっていた人の場合、時間が経過してからいいコーチについても、変な癖を取るのに大変な時間がかかります。
書道もそうです。最初から師匠について学ぶと上達が速いようです。

万事そうです。
我流で身についた癖は、除くのが大変です。


なので、今まで坐禅も瞑想もしたことのない人はチャンスです。
坐禅は長年やっているから上手、やり始めたばかりだから難しいということがないのです。

その点、坐禅を学ぶということは、世の中の習い事、技術の習得とは異なります。


修行僧やベテランは坐禅中に居眠りしています 瞑想している人にも眠い人多いんですね

ここから下は過激な発言があるので、ご注意下さい。

坐禅会に行ってみると分かりますが、坐禅を長年やっている人に、居眠りばかりして、少しも坐禅ができない人が多いのはそのような理由です。

居眠りが癖になっているのです。


決して批判しているのじゃないのですが、kyosaku
在家のベテラン(古参こさん と言います)だけではありません。
お坊さんは坐禅し始めると眠る人、めちゃくちゃ多いです。

専門僧堂の修行僧(雲水)もほぼ全員眠っています。
しかも結跏趺坐けっかふざ しながら、眠っているから凄いです。

さすがプロです。
結跏趺坐というのは、ヨガで云う パドマアーサナ padmasana(蓮華座)です。
両足とも腿の上に乗っけるやつです。


雲水つまり修行僧になって、僧堂に行けば、結跏趺坐は問答無用で強制されます。
完璧、体育会系です。
入門時は、ま、最高齢でも30才台ですから、それくらいの強制も良いことです。

でも、あの結跏趺坐けっかふざ 慣れると気持ち良いし、
膝痛くならないし(脚をほどけば全然痛くないです)
温かいんです。

特に冬は半跏趺坐 スワスティカアーサナ―では寒すぎます。
一方の足が冷たい畳や布団に着きますから。

それに半跏趺坐はんかふざ は脚をといても、まだ膝が痛いというようなことがあります。

結跏趺坐は温かいこともあって、結跏で脚を組んだまま坐禅中に眠るようになるんです。
炬燵こたつ効果ですね。
炬燵に入ると、すぐに眠くなる、あれです。

あと、坐禅のやり方をちゃんと教えてもらわないで、我流でやるから眠くなるんです。
専門僧堂でも、坐禅のやり方を習わないなんて不思議に思われるかもしれませんが、ホントそうなんです。

道場で10年修行しても、実は坐禅の本当の方法を知らない僧侶たくさん居ます。

ともかく、
専門僧堂の雲水、坐禅中にちゃんと起きている人、自分の経験では、10人か20人に一人くらいだと思います。真面目な僧堂で。
原田老師時代の發心寺ほっしんじ (福井県小浜市の曹洞宗の専門僧堂) でしたら、起きている人の率もっと高いと思います。

住職の資格取りだけの僧堂なら、全滅で全員居眠り坐禅かもしれません。
もちろん、警策が周って来ますから、その時だけシャンと起きます。
(そんな器用なことできるんですか? はい、簡単です)


ひどい言い方になりますが、修行僧、坐禅になっていないのです。


【質 問】それでも、あんたの言い分、偉そうじゃないか?

【回 答】実はですね。 修行僧時代、坐禅中に眠っていたのは、わたし [ 管理人]なんです。
告白します。 10年間の雲水時代に、坐禅すると見事に眠っていました。
自戒の弁なのです。

自らをきちんと律していた真面目な修行僧でした。

しかし、坐禅中に眠るのが癖になっていたので、そして正しい座禅の仕方も分からなかったので、少しも修行が功を奏さなかったのです。10年間がまったく無駄でした。
厳密に言いますと、10年に一度だけ、「自分がなく、事実だけがある様子」で坐れていたことがありました。
その体験も全く忘れていて、貫道老師に参じて初めてその体験があったことを思い出しました。
不思議なのですが、一度思い出すととてもリアルに記憶が蘇りました。
10年でその一度だけ。


あとはビックリするような居眠り坐禅。

しかも、自分ではまるで気づかない場合がほとんどなのです。

そして、修行僧にも、在家の人にも同じ轍を踏んでほしくないと思って書いています。


修行僧やベテランはなぜ坐禅中に眠るのか

もったいないですよね。

せっかく修行に行って、坐禅という「安楽の法門」に出会ったのに、
眠っているか眠さと戦っているだけですから。

(入門したばかりの頃は、先輩が寝かせてくれない、そういう悪習慣があるからという理由もあります)
眠る理由は2つあります。


(1) やる気がないのではなく、正しい指導を最初に受けなかったからです。
なぜか、専門僧堂では、坐禅のやり方を指導しません。老師がですよ。

わたしの場合は、しようがないので、昔の禅僧の本で坐禅のやり方を研究しました。
江戸時代かそれより前の禅僧、中国の禅僧なんかの語録です。

僧堂では、書見は禁止されています。本は読んではいけません。読みたければ、東司(とうす=便所)の個室で読むか、夜、他の人が寝静まってから、灯りのあるところでコソッと読むだけです。
そうやって読みました。修行の仕方が分からないから、そうするしかなかったのです。

僧堂生活はそもそも自由時間はありませんし、プライバシーもありません。
特に、新到の時は、東司(とうす=トイレ)が長いと先輩に注意されます。

本を読むなら、睡眠時間を削ってでもしないといけません。

そのように本で坐禅のやり方を勉強しましたが、やはりそれを達成した先輩、つまり、老師にそのことを尋ねて確認しないと、自分勝手な解釈に知らず知らずになるのです。

まさか、僧堂で本を読んでいると老師に知られてはなりませんから、結局、本だけの知識でやるしかなかったのですが、結果は明白です。
武道の本読んだだけで、師匠にお手合わせしてもらっていないと同じ状態です。


(2) 先輩のしごきや強制夜坐などで睡眠時間が1時間とか2時間とか極端に短いからです。

僧堂のスケジュール上は、6時間くらいは眠れるようなスケジュールなんですがそれだけ眠れば十分ですが、、、寝させてくれないのです 流石に2時間以下では睡眠不足です。

そして先輩になってもう少し寝られるようになった頃には、見事に居眠りの癖がついてしまっています。
そのうち、住職資格が取れて、もう送行そうあん・永暫えいざんするのです。道場を出ます。

大卒は高卒より僧堂安居の期間が短くて住職資格が取得できるんですよ。変な制度ですね。
宗門の大学を卒業していると、もっと短くて済む!?


で、ですよ、
坐禅中に起きていたことなどほぼ無いのに、道場を出て、自分の寺に帰ります。

なので、禅宗坊さんと言っても、まともに坐禅にトライしたことさえないのです。

坐禅を始めるとすぐに眠いのですから、一歩も踏み出していないのです。
最近、坐禅風景が動画にたくさんアップされるようになりました。その中で坐禅を指導している和尚さんが坐禅をしている部分がありましたら、よく観察して下さい。 ほぼ眠くて仕方がない 状態です。

それくらい、僧堂で修行した和尚だって、坐禅できないのです。坐禅の力がないのです。
しかも、専門僧堂では一度も数息観(すそくかん すうそくかんと読みません)をしたことがないのに、一般の人には数息観を指導します。
理由はここでは割愛します。



専門僧堂の安居あんご期間中は、坐禅の時間だけはタップリあります。

普通は、7日間の摂心が年に6回から8回あります。
言うまでもなく摂心中は、朝の3時半から午後9時まで、臘八接心なら午後11時まで、ずっと坐禅をします。

食事は三度あります。1回はお粥(かゆ)です。


7日間の摂心の前には、地取り摂心が一週間あります。本摂心のためにならしていく期間です。
地取り摂心は流石に、一日中坐禅でなくて、日中は作務をします。

で、午後4時に薬石(やくせき=夕食)です。
それが終わったら、午後5時から午後9時まで坐禅です。
もちろん、専門僧堂によって、また、時の指導者や古参の雲水によって、スケジュールが多少異なってきます。


専門僧堂なのに、坐禅ほとんどやらない、やらせてくれない道場があります。

そもそも7日間の攝心せっしん の回数が年に2回しかないような専門僧堂もあります。

名前を挙げると、意外な道場ですが、それはやめておきます。

在家で修行したほうが、もっと坐禅できるのではないでしょうか。


でも、摂心中でも、雲水(修行僧)は、坐禅中にずっと眠くてしようがなかったり、坐禅中に眠っているのです。
知らず知らずですが。

修行僧の時にそのレベルですから、副住職や住職になって、坐禅に打ち込むというような人なんてほぼ皆無です。

過激発言 真っ只中ですね。

まれに、和尚になってからのほうが、修行に励む方があります。
良い師匠に出会ったのでしょう。

そんな素晴らしい方も少なくありません。頭が下がります。
どちらかと言えば、貧乏寺の方に多いんじゃないかと思います。


ちょっと言っておきますが、お坊さんはお金に困らないように思っている人が多いかもしれませんが、それはほんの一部の金持ち寺院のお坊さんだけで、大抵の寺院は貧乏です。

兼職しています。
税金もちゃんと払っていますよ。

いくら今月お葬式が多くてお布施が多くても、住職のお給料は不変です。
年の最初に宗教法人が取り決めた代表役員つまり住職の給料は一定です。
勝手に増やせません。

株式会社・有限会社の代取の給料と同じです。



深夜の夜座もやり過ぎると次の日の坐禅が坐禅にならない

スッキリ目覚めていて、いわば坐禅が始まるのですが、全般的には、それすら出来ていない。
とにかく坐禅が眠くてしようがないのですから。

悲しいですが、これが道場に居る「専門家」の現状です。



私の場合は、僧堂生活中は、一日の睡眠時間を3時間以内にして、余った時間で(午後9時半以降です)自由に外で坐禅することで、それで修行を頑張っていると思っていました。

昔の中国宋代の慈明じみょう という偉い禅僧が、夜に眠くなると腿(もも)に錐キリを刺して、眠気を覚ましたということを本で読んで知っていました。

慈明引錐じみょういんすい という有名な逸話です。
そんなのに影響されたんですね。

キリで刺したことはありませんが、眠れば、下に落ちて、死ぬようなところでは坐禅したことがあります。

下に落ちれば、ずぶ濡れになるところで坐禅したこともあります。

お墓でもよく坐禅しました。
幽霊とか霊魂とかはいません。

でも、眠い時は何やったって眠いので、今だったら、さっさと寝てしまった方が良かったと思います。


ベテランになった後は、何時間でも横になれるのに(と言っても、午後9時まで坐禅で、朝は3時半起きです)
9時以降は、ま、歯磨きとか済めば午後9時半くらいになりますが、それ以降は建前は就寝時間ですが、
布団を持って縁側とか位牌堂とかに行って、自由に坐禅をするのです。


朝の振鈴(しんれい=起床時間に鈴の大きな音を鳴らすから;臨済では、起床を開静かいじょう と言います)までに禅堂の自分の単まで戻っていれば、良いのです。

つまり、規則上は、朝自分の禅堂の場所に戻ってさえいれば、ずっと坐禅していてもOKなのです。


そこで、午前1時くらいまで坐禅をしていたのです。毎日です。
なので、睡眠時間は3時間を切っていました、10年間。

自分が禅堂に戻ってきた時、自分以外の全員眠っています。
(禅堂住まいでない、役付きの場合は、自分の寮舎で眠ります)

睡眠2時間を切るとさすがに大変つらいなというのが当時の感想でした。

摂心中も同じです。昼間ずっと坐禅していますけれども、夜になっても手を緩めるわけにはいきません。

ナポレオンには勝っていると自負していました(勝ち負けとか馬鹿ですね)


しかし、起業家や実業家、経営者で睡眠時間2時間という人、ごまんといますし、売れっ子の芸能人・タレントなども長年睡眠2時間とかでやっている人、別に珍しくないです。



経営者やタレントさんは、短時間睡眠で、ちゃんと自分の実績をあげています。
しかし、坐禅人は、次の日の仕事つまり坐禅が寝ていたのでは、仕事できていないということですから、完璧に失格なんです。


わたしの場合、横になって寝る時間を削ったせいで、見事に坐禅中に眠る癖がついていて、
てか、日中の作務の時も、とても眠かったくらいですが、
真面目な修行者と自負しているわたしが、坐禅中に自分が眠っていることに全然気づきませんでした。


新米の時は古参が注意してくれますが、中堅やベテランになると忖度そんたく して、注意してくれないのです。
警策(きょうさく・けいさく)もあまり入れてくれなくなります。

なので、10年間もずっと居眠り坐禅でした。凄いですね。


しかし、今思うのですが、坐禅中に眠っている時間を合計すると、睡眠2時間台どころか、メチャメチャ寝ていたということになります(苦笑)
まあ、ナポレオンも馬の上で寝ていたそうですから、同じようなもんです。
(どこまで、ナポレオンと競いたいんだ!(笑))


自分では眠っていると思っていないのですから、大問題なんです。
本当にもったいないです。

無駄な10年間を過ごしました。
2年くらいに圧縮しておけば良かったです。


【質 問】なんで、10年間もそこに留まったのですか?

いや、道場は2つ行っています。
最初のは6年です。最初の師家は6年で見切りをつけました。
本当は、もっと早く見切ったら良かったのですが、長く続けることに意義があるように思い込んでいました。

それから、別の、これと思える老師に4年間師事したわけです。


当時は、井上義衍ぎえん老師のような方が以前にいらっしゃったとか(もう遷化されていました)、
その法を嗣いだ方がいらっしゃるとか、全く知らなかったのです。


義衍ぎえん老師の書籍を知ったのは、いつくらいでしょうか。修行8年目くらいでしょうか。

「こんな人がいらっしゃったんだ。この人は本当に悟っている。悟りの真っ只中に生きている人だ」
というのが、感想でした。

とても驚きました。龍泉寺さんから何冊か購入しました。

しかし、なにぶんそれ以上の情報がありません。

実子のお弟子さんがいらっしゃることは書籍で分かりましたが、子供だからと言って、親と同じ悟りに到達していることとは別でしょう と思って、哲玄老師も義寛老師も貫道老師も訪ねて行きませんでした。

その方々がどういう言葉を話されているか、ちょっとでもあればそれが手がかりになって、「おっ」っと思えば、訪問したでしょうけれど、まったく情報がなかったのです。


10年の雲水生活を終え、住職ではないけれど、あるお寺にて、さらにそれよりずっと後になりますが、
あることで、井上老師を本物だと知り、その系統の老師に只今参禅中です。




◇    ◆    ◇    ◆    

本題に戻りますが、

在家の人はもちろんですが、お坊さんも坐禅中に眠らなくなれば、仏教界の質がアップすると思います。


もっと、ショックな事言いましょうか。

坐禅中に眠らなくても、眠気と戦っている状態も、寝ているのと全く同じレベルです

眠さと戦っているのも、居眠り坐禅と同じですからね。

眠さと戦っているというのは、坐禅にはなっていません。修行にはなっていませんから。
お坊さんみたいに見事な半折れ姿で眠っていなくても(←これ、過去のわたしのことです)

(もう少しで頭が畳に着くのでないかというくらい上半身が折れ曲がっている しかも結跏趺坐で)
坐禅すると眠いあなたは、修行のスタートラインにも立っていないのです。



ここよろしいでしょうか。別にお坊さんだけのことを言っているわけではありません。
在家の人も、そうです。

在家の人にも、雲水と同じく、特にベテランになればなるほど、坐禅中に眠っている人が多いんです。
坐禅会に出てみると、それが井上義衍老師系統の坐禅会でもですよ、古い人つまり古参と言われている人ほど、居眠りをされていますね。


時々老師は怒っていますが、まったく効き目がありません。

そもそも自分のことを言われているとは思っていないのです。
昔のわたしと同じです。


自分が居眠りをしていると気づいていないのですから、老師が指摘しても他人事です。

警策を回せば、だれがどんな状態か一目瞭然なのです

【質 問】大半の人が坐禅中に眠っている・眠たがっていると言うが、あんたは、人のことキョロキョロ見ているのか?

【回 答】
坐禅中に眠っていはいないけれど、眠さと戦っている人って、警策(きょうさく・けいさく)を回せばすぐに分かります。

ベテランになって、警策を回す役があります。
巡香とか巡警とか云うのですが、初めて、それをやった時に、とてもビックリしました。

なんと、警策を持って、禅堂の端に立つと、それだけで、その列の、誰が眠っているか(その人はもちろん身体が動いています)、だれが眠たい人なのかまで分かるのです。

ちゃんと坐禅している人はとても少数ですが、まったく違います。
なんと言いますか、シルエットがピシッとしているのですね。

まるで名画のようなのです。実物なのに、画に喩えるのは変ですかね。


眠っている人は、もちろん明白ですが、
眠い人は、小刻みに身体が揺れています。

とても悪い表現をすれば、亡霊か幽霊みたいです。

別にわたしには透視力とか天眼通とかないですが、ホントに分かるのですよ。
小刻みに揺れている人が大半なので、それは、警策入れていたら、こっちも大変なのでやめておきました。

警策で叩くのは、眠っている人だけにしておかないと、毎回毎回30人近くに警策入れないといけません。

ちゃんと坐禅している人、30人中のたった二人でした。
初めて、警策を回した時の体験でした。
一目瞭然なのです。


それ以降は、坐禅や瞑想をしている人の写真を見ても、その人がどうしているか、眠さを我慢しているだけかとかがすぐに分かるようになりました。

ネットに坐禅している写真や瞑想している写真が後ろ姿のとか、横の姿のとかありますが、眠っている人、眠たい人はすぐに分かります。


「坐禅すると雑念ばかり起こって困ります」と言っている人は、修行のスタートラインに立っています。
そこから修行が始められますから。
こっちの方がはるかにマシです。

「坐禅すると大体眠いことが多い」という人は、まだ修行のスタートラインにも立っていません。

眠い坐禅をすると、日常生活のクオリティーも落ちます。

坐禅中に眠ると、人相悪くなるような気がします。
老化が進んでいるような顔になります。
アンチエイジングならぬ、単なるエイジングです。

坐禅は指導者を選んでやってください

草野球は何年やっても草野球です。
わたしも小学校4年から6年まで学校の放課後は、すぐに野球をやっていました。雨降り以外、毎日です。
教えてくれていたのが、中学生なので、技術はそこ止まりでした。
楽しかったですけれどね。

リトルリーグに入っていれば、同じ時間で遥かに上達していたと思います。
指導者が違いますから。


もし、本当に全国高校野球に出場したかったら、甲子園の常連校を選びますよね。

坐禅も同じです。


昨今、
坐禅、坐禅とブームみたいになっているようですが、それらは心を落ち着かせたり、健康にも良いかもしれませんが、正法の坐禅を伝える人は極めて少ないです。

坐禅は無念無想になることと思っている人、99%です。
教える方も教えられる方も、無念無想教の信者様です。


それはともかく、
井上義衍老師系統の教えに出会った人はラッキーです。

【質 問】 なんで、井上義衍老師系統にしか悟っている人がいないように言われるのですか?

【回 答】 世の中のスポーツでもそうです。優れたコーチは金メダリストたくさん生み出します。 
優秀な監督、優勝をコミットした監督がいると箱根駅伝何連覇もします(2019年は復路優勝だけでしたが)。
それと同じです。

学校でもそうですよ。ある県で偏差値がかなりの下位だったある高校は、校長先生が変わっただけで、すぐに変化を遂げ、10年、20年と経つうちに、今は、東大、京大にたくさんの合格者を送り出す受験名門校となりました。
その県でも偏差値一番になっていますし、全国指折りの高校です。受験では。
昔は公立入れない場合の滑り止めの高校。


別の高校ですが、ほとんどの生徒が授業中に後ろ向いて座り、しかも教室から机を外に放り出すような高校が、今は、公立最難関となり、学力が有名私立も及ばなくなったところがあります。

責任者や指導者が変われば、生徒が変わるようです。


仏教については、現代は、井上義衍老師系統なんです。
山口県に飯田欓隠いいだとういん老師という方があって、東大附属病院の医師の時に、在家のまま見性されて、
40歳位の時に大悟徹底されて、
(60歳で出家して指導者となられました)
その方に師事して大阪で修行した僧侶の井上義衍いのうえぎえん老師が出られて、
仏教は一気に再興したのです。

他の東南アジア圏にもこのような指導者たちはいないと思います。

ただし、独参をしないと自分の受け取り間違いに気づかないので、いくら井上義衍老師系統に参じていても、進歩はしません。



初心の方は、坐禅が初めての方へ:
坐禅初心者の方々へ―今まで聞いた仏教とは違う話と座禅

の記事をぜひお読みくだされば嬉しいです。



坐禅中の眠気については、
次の記事 坐禅中・瞑想中に眠くならない方法(眠気対策)

次の記事 現代の日本にも夜中も眠らず坐禅できる人たちがいる
もお読みいただけると幸いです。


散々僧侶のことをこき下ろしましたので、僧侶の方々が如何に修行されているかを示す動画を1つご紹介しておきます。

曹洞宗の僧侶の法階と教師分限


すごいでしょう!


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それでもまだあなたは出家したいですか

eiheijijitsujotaikenki永平寺専門僧堂の暴露本です。
『食う寝る坐るー永平寺修行記』

この本のおかげで、いじめはちょっと減ったそうです。

わたしの行った道場は、ほとんどいじめはなかったですね。

なぜか、数学とか物理とか、工学部とかの理系出身ばかりだったです。
冷静な人が多かったということでしょうか。