和尚さんが自分の娘が亡くなって、本気になって只管打坐しかんたざ の坐禅に打ち込んだ結果

ある老師からお聞きした話です。

坐禅は必ず目を開いて行ないます。


専門僧堂に行って真面目に修行して、お寺の住職になったある和尚さんがいました

禅宗では、住職になるには、僧堂安居(あんご)が不可欠です。
臨済宗や曹洞宗では、専門僧堂に行かないと、住職の資格が取れません。


曹洞宗にしても、臨済宗にしても、高卒と大卒では住職資格取得のための最低の安居期間が異なります。
大卒は短期間で住職の資格が取得できます。
(ここも学歴なんですね)


そのためには、
まず、ご縁のあるお寺で出家得度します。
貧しいお寺では弟子を断られる場合もあります。

お寺で生まれた場合はそこが師匠寺となります。
そこで、基本作法などを習ってから、師匠(父親や師僧)のお寺から、専門道場に行きます。


道場(僧堂)では、安居と言って、一定期間(最低3年間)入門して、坐禅・作務・托鉢を中心として修行の僧堂生活をします。
役付きもあるので、庶務、本堂の係り、畑作り、師家のお世話、台所なども経験します。

現代では、宗門(しゅうもん 曹洞宗とか臨済宗とかのこと)の都合で、専門僧堂という制度があります。
90日間の安居中は、托鉢などの修行上の理由以外で、僧堂を出ることを許されません。


専門僧堂のような制度のなく、師家という資格もなかった明治時代以前では、力のある和尚のところに噂を聞いた雲水(うんすい=修行僧)が集まり、そこで修行をしました。

唐代の中国では、1,000人を超える雲水が集まるような老師がいました。(お寺もそれだけの人数を収容し、養う力がないといけません)

道元禅師が大変尊敬されている薬山惟儼(やくさんいげん)禅師(ぜんじ)の禅堂は牛小屋でしたが、20人足らずの本気の修行僧が集まっていたと言われています。薬山禅師から今日に法系が繋がっています。



あるいは、その和尚の自分のお寺が人を受け入れるキャパがない場合は、その和尚(師家)をキャパのある別の寺院が指導者として迎え入れて(拜請はいしょう と云います)、90日間の結制(けっせい)をしました。

結制には、修行を円滑に進められるようにマネージメントする経験豊富な和尚を始め、金銭や物資を扱う係、食事を作る係りなど多くの裏方が必要です。

托鉢だけで賄えない場合、在家の人のスポンサーも必要です。


全員が坐禅だけに専念できるわけではありません。


やはり90日間の安居(結制)期間中は、師匠や親の大事の時以外は、そのお寺を出ることはできませんでした。



さて、本題です。
その和尚さんは、現代の宗門の定めた僧堂安居あんごを数年で終えて、縁あって、ある寺院の住職となっていました。

日本のお寺の住職になったのですから、葬式・法事もします。
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奥さんを持って、子供さんもいたそうですが、ある時、娘さんが若くして不治の病に倒れ、とうとう亡くなってしまいました。


父親である和尚が、お葬式をしたのですが、以来、亡くなった自分の娘のことが気になって仕方なくなりました。


住職として、今まで何人もの人にお葬式で引導を渡してきたのですが、いざ自分の最愛の娘が亡くなった場合は違いました。

「自分の娘は果たしてどうなったのだろうか。

成仏じょうぶつ というけれども一体、実際には、現実には、娘はどうなったのか。
どこへ行ったのか。

成仏できたのだろうか?

それが自分には、ハッキリとは分からない」


自分の娘はどうなったのか、それだけが気がかりとなった

可愛い娘のことですから、気になって気になって、お寺の住職としての仕事も手に付きません。
「いや成仏したに違いない」と思い込んで、それで無理やり自分を納得させる、自分をごまかすこともできたでしょうけれど、正直な人だったのでしょう。


想像で多分こうなったのではというのではなくて、
無事極楽に行ったんだ
とどこかで聞いた世間的常識のような、根拠のない知識で自分を納得させるのではなくて、
本当はどうなったのか、手に取るように分からないと満足が行かなったのです。

結構、現実主義者です。

来る日も来る日も、そのことだけが頭の中、心の中にありました。


修行をし直して、自分で解決するしかない

色々解決を求めて、これと思える老師(師家しけ)に会って話を聞いたり、有名な和尚の本を読んだりして見ましたが、解決が行きません。

最終的には、当時の専門僧堂の中で、一番評判の高い老師に師事をして、もう一度修行をし直そうと思ったそうです。

一旦住職した人間が、再度修行に出るということですから、もう檀家さんへの責任も果たせないですから、住職(寺院の代表役員)を辞めるということになります。


また、道場から帰ったら、どこかの住職になれるという保証もありません。


都会にあるとか、檀家が多いとか、貸し駐車場があるとか条件の良い寺院は、血縁に後を継がせるか、縁故や紹介で、すぐに住職が決まってしまいます。

そもそも、年齢の高くなってしまった男をそうそう住職に迎えてくれる寺はありません。

檀家総代が嫌がります。


和尚さんはお寺を捨てる覚悟が出来ていました。



それで、和尚ですから、和尚同士のいろんな集まりにも出席しますが、たまたま目当てとする老師をはじめ、専門僧堂の老師たちが何人も集まっている場で、こんな話が漏れ聞こえてきました。


「井上義衍老師(当時すでに故人)という方は、自分たちとは違う宗派だけれど、現代ではこの人が最高だ。
悟りの見地に置いて、井上義衍いのうえぎえん老師ほどの人は他には居ないのではないか。
ただ本を読んでも何を言われているかよく分からない。。。」

そんな話を聞いてしまったのです。

当時の最高の老師と言われている人が、義衍老師を絶賛しているものの、その見地が自分には分からない、と吐露しているのを聞いて、和尚さんは非常に落胆しました。

「その老師も、義衍老師とやらには及ばないのか
しかし、その井上義衍老師は本物かもしれない」


自分は娘さんのこと、いや、自分自身が何なのか、人が死んだらどうなるのかを是が非でも解決しないといけないわけです。

もはや、全身が疑団のかたまりとなっていました。

ついに本当の修行の方法が分かった

それで、その和尚さんは、すぐに、発行所に電話を入れて、その老師と言われている方々が絶賛している井上義衍老師の書籍を全て購入し(今ほど冊数はありません)読みました。

僧堂に本を持っていくことは許されません。
僧堂では、本を読むことも許されませんから、修行に行く前に貪るようにして読み、修行のやり方の要点を頭に叩き込みました。

※雲水は、『塗毒鼓』という和綴じの小さい本だけは、僧堂安居に携帯しないといけません それには、原文の漢文や読み下し文だけで、注釈などは一切載っていません。
無門関などの公案が載っています。



過去には、独身時代に僧堂に安居して、坐禅修行を中心に修行を重ねていましたが、井上義衍老師の本を読んだことで、今の今になって初めて修行のやり方・坐禅の仕方が分かったそうです。


義衍老師の言われる要点を一言で言うと、

「修行とは、何もしないこと」
「六根にうちまかせて(五感を開放して)坐禅する」「思い浮かぶ想念は相手にしない」
それが義衍老師の言われる真の只管打坐です。

※六根=眼耳鼻舌身意の6ケ

僧堂に入門するまでには時間があります。
和尚さんは、お寺で、実際に只管打坐しかんたざ(祇管打坐) で坐り始めました。


再び、専門僧堂へ

僧堂に入門できる時期がやって来て、お寺を捨て、再行脚(さいあんぎゃ)です。

専門僧堂に掛搭(かとう・かた)し、自分の子供くらいの年齢の若い修行僧に混じって、修行を再開しました。


幸い入門してすぐに、摂心がやってきました。

公案ももらうのですけれども、和尚さんの工夫は、井上義衍老師の教えておられる只管打坐しかんたざです。

師家(しけ)の前で、芝居を演じて公案を透過してみても意味がありません。


自分自身の本分の明らめるための坐禅が仏道修行の目的です。

そのためにどのように坐禅をしたら良いか、それは、すでに井上義衍老師の書籍で完璧につかめていました。


坐禅とは、何もしないこと そして臘八ろうはつ

僧堂安居(あんご)は90日間が単位ですが、中でも7日間の摂心期間中は、一日中、坐禅だけに打ち込めるありがたい期間です。

7日間は開浴(入浴)もありません。
ヒゲもボウボウ、頭の毛も7日間あるとかなり伸びます。


そのような摂心が90日間の安居中に3回から4回あります。

年間で言えば、7日間の摂心が6回から8回あります。


和尚さんは、入門して第一回の摂心(入制大攝心)が終わり、2回目の12月、臘八大接心ろうはつおおぜっしんで、只管打坐に打ち込み、見事に見性けんしょうされた(悟りを開いた)そうです。

※臘八ろうはつ大接心は、12月1日から8日の明け方まで、深夜も横になって寝ることを許されない摂心で、寝具は封印してしまいます。
深夜12時位から、午前3時半までは、坐睡ざすいと言って、坐禅の姿のまま、仮眠をするのです。

原田老師時代のかつての発心寺専門僧堂などでは、参禅者の控室は入れないように閉鎖され、窓という窓には外の景色が見えないように、布が貼られてしまいます。


お釈迦様が、坐禅に打ち込まれていた時に、明け方の明星(みょうじょう=金星)を見て、悟られた、明星一見みょうじょういっけんの故事が12月8日なので、それに因んで、禅宗では、8日の暁天が終わりになるように、12月1日から摂心をして、坐禅に専念します。

臘月(ろうげつ12月)八日なので、臘八(ろうはつ)です。

蓮と蕾


和尚さん、その臘八摂心で見性されて、自分の娘さんが、どうなったか、それもハッキリしたそうです。
(娘さんの魂が天国に行ったことを見届けたなどではありません)


井上義衍老師の本を出しているお寺に電話を入れて、泣きながら報告し、お礼を言われたそうです。




コメント

本当に僭越ですが、管理人がコメントを述べさせていただきます。

このような思いにならないと悟れないとか、
井上義衍老師の本を全部読まないといけないとか
摂心に参加しないといけない

ということではございません。

正しい修行のやり方・坐禅の仕方が分かることが大事だということでございます。

この和尚さんは、住職になっていたわけですから、僧堂経験がありました。
以前は、独身の清僧として、僧堂で摂心を何回かしていたはずです。

不眠不休の臘八大接心も何回か経験していたはずです。
(毎回摂心で坐禅ばかりできるのではなくて、裏方役も回って来ます)


今回は本気でした。


また、今回は「正師」がいました。
修行方法を伝える人が、
この人の場合は、たまたま生きている人ではなくて、義衍老師の本でしたが、和尚さんには、正師しょうしがいました。

仏道を実証している正師です。
お釈迦様と同じ悟りを体現している正師です。


今の我々には、生きている正師が必要です。

本では、自分の解釈が入り、まったく違うものと受け取ってしまいます。
自分の受け取ったことがそれで良いか質問して確認することができません。


上記の和尚さんは、
最愛の娘を亡くして、ただ悲嘆に暮れるというのではなく、それを解決したいと思われたことが修行のきっかけとなりました。

仏道はどんな悲しみ・落胆にも根本的な解決策を与えてくれる素晴らしい実証方法です。


仏道がなければ、時間とともに心が癒やされるのを待つだけになってしまいます。

仏道を知らなければ、「良いことも悪いこともある、それが人生だよ」と自分に言い聞かせて、たった一度の人生を終えることはできます。


いや、そういうのでは、自分は満足できないという方々が、仏道を求め、坐禅を組まれるのだと思います。




上のエピソードは、
道場に掛搭(かとう・かた)しないと悟れないということではございません。
(臘八)摂心(せっしん)に参加しないと見性できないということでもありません。

すでに発表しましたように、道場に居ても居眠りをして修行になっていない場合が物凄くたくさんあります。

僧侶でなくても通常の仕事を持ちながら、短時間でも坐禅に打ち込んで、悟りを開いた方も少なからずいらっしゃいます。



いくらやる気があっても、いくら摂心に参加して坐禅しても、坐禅中に眠っていては全く無意味になります。

居眠り坐禅をしているとそのうち、やる気が失せてしまいます。

そのまま、5年、10年と経ってしまいます。
宝くじに当たるより低い確率で、正しい法を聞いていても、こうなる人がとても多いのです。


そこで、


瞑想中・座禅中に眠くなる原因ー僧侶やベテラン一般人はなぜ坐禅中に眠るのか

坐禅中・瞑想中に眠くならない方法
もご覧ください。



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