このブログでは、体験談を紹介する人がどうしても現在僧侶である方や禅の指導者になられた方になりますが、本記事のような体験をする人(多くの場合偶発的に)は、普通の生活をしている一般女性にもたくさんいらっしゃるようです。

しかしながら、その体験が何であるかが分からず、普通の僧侶や有名な高僧や本をたくさん書いている有名なお坊さんに求めてもそれが何であるかを指摘できることもできず、またその体験を忘れることもできずに、月日を重ね、やっと最近、インターネットの普及もあって、井上義衍老師系統の指導者に巡り会えて、修行を始めたという方が参禅者にチラホラ(結構たくさん)いらっしゃいます。

彼女らは自分の過去の体験が「悟り」ではないことを分かっています。

「悟るまでは、似たような体験 (似て非なる体験) をすることがあります」―井上貫道老師 

※その僧侶の方々が正直に自分はそういう体験がないからだれだれに会ってみたら答えがもらえるかもしれないと進むべき方向を示してくださったら一番いいのですが… 特に本をたくさん書いている人は自分の知識で推測して適当な回答をするから、その体験者たちは余計に迷ってしまうのですね

通常の僧侶の世界で行われている修行では、そのような体験すらしないからです いつの間にか悟った人の修行体系ではなく、ただ厳しいだけの修行システムを作ってしまったからです つまり現在行われているのは、ブッダの修行システムではなくて人間の修行システムだからです
人間の修行システムだと心理的体験や不思議な体験はするのですが、ブッダが伝えたいこととは異なるものになってしまいます

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以下は現在和尚になられている人のサラリーマン時代の体験談です

多忙な一流企業会社員が、離婚と元カノの死で無常を感じて毎朝30分の座禅に励んだ結果


坐禅はいつも目を開いて行ないます

サラリーマンの自信が崩れ、人生に無常を感じ、「無眼耳鼻舌身意」のことばに吸い込まれる

大学を出て、教師を経て、東京で、一流企業の会社員となり、結婚して子供も生まれ、人生は順風満帆に見えました。

しかし、子供がまだ幼児の時に離婚。
ちょうど同時期に、以前お付き合いをしていた女性の母親からの手紙で、その女性が病死したことを知り、人生の無常を感じることになりました。


276664a41ea2baeb2ee10bae55f92a95_sご本人の言葉によれば、

「この二つの出来事が効果的なダブルパンチとなって私の人生に対するそれまでの自信と展望を根底から崩壊させ、人一倍強かった自尊心をズタズタに切り刻み、私を個の破産状態に陥れた。

宗教臭いことが嫌いで、かつて一度も佛教書の類いを繙(ひもと)いたことのない人間が、こうして「無常」を骨身に徹して体感することになる。」

そして、

「お経(般若心経)の中の『無眼耳鼻舌身意むげんにびぜつしんに』という不可解な言葉に吸い寄せられて、全身が途方もない疑い(死とは何か、死後何処へ行くのかなどの実存的疑い)の塊(かたまり)になった。」 


毎日般若心経の読誦と30分の坐禅が日課となる

zazenpostureそれからは、出勤前に般若心経の読誦をし、続いて30分坐禅を組んでから会社に向かうことが日課となりました。

居眠り半分ではなくて、ハッキリした意識で、目を開いて坐禅しました。


用事で行った高野山で朝のお勤めのお経のあと、突然「世界が本来の姿をあらわす」

それから2ヶ月後、高野山(こうやさん)に用事があり、宿坊(しゅくぼう)に泊まって、翌朝の朝課(ちょうか)を終え、本堂から廊下に足を一歩踏み出した瞬間、気づきを得ました。  ※この方の仕事は出版社勤務


『禅と念仏』によれば、

「完全に意識の糸が切れ※、その後突然、世界が本来の姿を現したのである。」 

『禅と念仏』の記事のあとの方には、のちに出会う愛媛の青野敬宗あおのけいじゅう老師に「十数秒間の空白」と告げている。


豁然として釈尊[お釈迦様のこと]の生まれる以前からの本地の風光が現前した。

物がただそれ自体の作用の連鎖のままであり、どこにも中心や基準がない。lotushasu

それも今始めてここに踊り出た風光ではなく、過去現在未来の切れ目なしにぶっ通しなのだ。いわゆる「不生不滅」の様子。

およそ人為の及ぶ消息ではなく、認識の主体が落ちているから「無眼耳鼻舌身意」そのものである。「事事無礙法界じじむげほっかい」という言葉があるが、たとえようもない静謐(せいひつ)、故国にあるが如き安らぎの世界なのだ。

※事事無礙法界じじむげほっかいとは、釈尊の悟りをそのまま表現したとされる大乗経典の『華厳経けごんきょうAvatamsaka Sutra』にある四法界(しほっかい)の一つ 
八宗綱要(1268)下「一事法界じほっかい、二理法界りほっかい、三事理無礙法界りじむげほっかい、四事事無礙法界也じじむげほっかい」



これによって私は、病死された過去の女性を含め、一切万物の成佛(じょうぶつ)を見届けたのである。」 


「見るもの聞くものがいちいちそれ自体できっちり納まっており、どこにも滞らない様子。物がそれ自体でしかなく、何ひとつ手のつけようのない様子。

心経にある「不生不滅」「無所得むしょとく」の事実である。禅宗でよく「忽然(こつねん)」という言葉が使われる。

物は同一の事実で裏も表もない。しかしたちまち一瞬にして夢から醒めたように一切が明らかになるのだ。

嬉しいとか悲しいとか言ってみても、全体底が抜けていて、どこにも根っこらしいもののない様子が現前する。

いちいちの大光明である。」


そこから修行がスタートした

上記は、大悟徹底や決着の体験(修行が終わる体験)ではなく、そこからその方の修行が始まったのです。

昭和53年、35歳で埼玉県の曹洞宗寺院にて出家。すぐに井上義衍老師の名声を聞くが、最初、永平寺専門僧堂に掛搭(かた・かとう)する。
しかし、正師(しょうし)を求めてすぐに永平寺を下山(=あさん お寺を出ること)。


井上義衍老師の浜松に向かうも、途中立ち寄ったお寺で、老師がすでに遷化(せんげ) (昭和56年=1981年に遷化) されたと聞くことになります。

それから、諸方行脚(しょほうあんぎゃ)し、千葉県の空き寺で留守をするなど、紆余曲折して、福井小浜の發心寺専門僧堂で5年間、原田雪渓老師に参じました。

次には、高知の庵に住みながら、昭和62年に愛媛の臨済宗の師家分上(しけぶんじょう)青野敬宗(森敬宗)老師に参じました。

(森敬宗老師は、臨済宗の東福寺・林恵鏡老師(晦宗恵鏡-1896-1979)の印可証明を受けたものの悟りを開いていなかったので、曹洞宗の井上義衍老師のお寺に行き、その指導を受けて短期間に見性けんしょう し、そこを出たのち、臨済宗の寺院の住職なども経て、最晩年は、愛媛に移住されていました そこにはみんなが修行できる禅堂があったようです 薬局の倉庫の留守番をしながら、指導をされました)


原田雪渓はらだせっけい老師(1926-2020)も、青野敬宗あおのけいじゅう老師(平成5年(1993年)3月11日遷化せんげ)も、共に、井上義衍いのうえぎえん老師の会下(えか)*で、井上義衍老師から見性を証明されている方々です。


*会下(えか)とは、参禅者のこと。誰々老師に師事して坐禅修行をした、独参をしたという場合、その老師の会下(えか)と云います。弟子とは云いません。弟子となるのには、師資の礼をとる必要があります。

―『禅と念仏』「ある師家分上のこと」に基づいて

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[ 管理人 ]
井上義衍老師の遷化後は、井上貫道老師に参禅されたら良かったのですが、縁がない時は、無いものですね。

ちなみに、井上貫道老師(1944-)は、この方の一歳下の年齢ですが、すでに10代にて悟り修行を終えられておりましたが、貫道老師にもご縁がなかったようです。

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本当の見性をすれば、もう元に戻ることはないと言われています。
しかし、この記事の場合、高野山での体験ではご本人は満足されていません。
本人自身が分かっておられます。

つまり、本当に悟られたのではなかったということに気づいていらっしゃったので、出家して、まずは、永平寺に掛搭して、満足できずにすぐに永平寺を下りて、本格的に正師(しょうし)を求めて修行を開始されたのです。
我々参禅者は、このような正直さが必要ですね。



以下の記事をご参考にしてくださると理解ができます。

真に悟れば(見性)もう元には戻らない―井上貫道老師


悟り体験をすれば、もう元には戻らないです

以後は、諸仏の過ごされた境涯というものをこの身体で楽しむことが出来るのです
   
井上貫道老師

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◯ 正しく坐禅ができるようになれば、本当に誰でもハッキリします。
ただ、ちゃんと座れるようになるまでに、多少の時間は必要です。
正しく坐れる様になったらあとはそれを継続するだけです。

そうすれば、いつかは分からないのですが、必ずハッキリする時が来ます。


◯ 無の体験などを [わたしも]しましたが、結局、体験を見ている人、決めている人が居る限り、決着しないということです。 
※決着する=自己と他己の問題解決に決定的な終止符を打つ=大悟徹底をする=仏道修行が終わる=釈尊と同じ悟りを得る

―松本自證老師