川上雪担老師のプロフィールを訂正します


川上雪担老師のプロフィール文章中で、
雪担老師が発心寺専門僧堂を抜け出て、浜松龍泉寺の井上義衍老師のところに行かれた後、それを追って、蜂須賀雪渓和尚(のちの原田雪渓老師)が、僧堂を出てやはり井上義衍老師のところに修行に行かれたように管理人が書きましたが、それは誤りでした。


雪担和尚の在錫中の様子は、雪担老師の雲水日記に書かれていますが、それに登場される頃の蜂須賀雪渓和尚は、すでに、義衍老師に参じて見性(けんしょう)されたあとのことです。

雪渓和尚は、見性ののち、龍泉寺の井上義衍老師の下を去り、いくつかの寺院などを経て、発心寺専門僧堂に帰られました。
なぜなら、蜂須賀雪渓和尚は、珍しく道場の弟子だったのです。
通常は、地方の寺院の弟子となってから、どこかの専門道場に修行にでかけます。


雪担和尚が発心寺専門僧堂に掛錫されたのは、その頃です。


昭和11年生まれの雪担老師が29歳(多少のずれがあるかもしれません)で雲水になられていますから、発心寺専門僧堂に掛搭されたときには早くても昭和40年です。
一方蜂須賀雪渓和尚(のちの原田雪渓老師)が発心寺専門僧堂を飛び出して義衍老師に参じられたのは、『夢想(一)』(龍泉寺発行)などの巻末資料によれば、昭和26年ですので、14年も前のことです。

雲水日記に書かれている頃の発心寺専門僧堂での様子は、すでに浜松で修行を終えて、最終的に発心寺専門僧堂に帰錫されたあと、修行僧のリーダーである維那(いのう)和尚になられていたのです。


雪担老師の雲水日記にありますように、
斎藤大心和尚がそれをどこかで聞いて来て、発心寺専門僧堂に掛搭しますが、道場の老師である堂頭老師(原田雪水老師)ではなくて、維那和尚に会いに来たんだというセリフがありますが、それで辻褄が合います。

原文:「わし堂頭どうちょうさん[原田雪水老師]に用事があって来たんじゃねえ、維那和尚(蜂須賀雪渓和尚)とこ来たんさ。」


また、雪担和尚が龍泉寺に行くと決めた時に、雪渓和尚が、電車の道順を教えたり、餞別を渡したり、紹介状を書いたりして手配されています。

もし、雪渓和尚が義衍老師のことを知らなかったら、維那和尚が専門僧堂を抜け出て、田舎の訳のわからない寺院に行くことをわざわざ支援するはずがありません。
雪担和尚も、維那和尚には内緒にするはずです。


なお、雪担和尚の発心寺専門僧堂掛錫の頃には、井上義衍老師のご子息たちは末弟の貫道老師(1944生で中卒で発心寺に掛搭)も含め、全員すでに発心寺専門僧堂を送行(そうあん 道場を去ること)しています。
時代がそれらよりあとのことです。

見性を安売りしていた当時の発心寺専門僧堂

b6b85a3281f5512d95f18c07ec0f6e52_s
発心寺での話で、斎藤大心和尚が、
抽解の間も坐禅していて、鐘がなったら、どわっと身体が消えてしまって
(原文は、抽解ちゅうかい の代わりに柱開と書かれています)手も足も無くなって立とうにも立てない

という体験に関しても、
雪渓和尚は、
「あなたはそういうこと云ってるから駄目なんですよ」
と言下にNGを出しているのです。



ちなみに、当時の発心寺の老師(原田雪水老師※)は、それを雲水日記にあるように「大見性だいけんしょう」だと評しています。


いかに安易に見性を許す(ちょっとした体験を見性だと認定する)風潮だったかということが知れます。

これは、原田祖岳老師の頃から風潮で、そこから独立して三宝教団を創始した安谷白雲老師も、見性(けんしょう)を安売り、発心寺の後継者の原田雪水老師も見性を安売りされていたようです。
中には、石黒法龍老師のように見性マシーンを作って、祖岳老師に破門された人もいます。

同じく祖岳老師の弟子の仏国寺・原田湛玄老師(1924年8月24日-2018年3月12日)も同じような傾向があったようです。

仏国寺(佛国寺)は発心寺の隣りにある曹洞宗寺院です。一時は、発心寺と同じく外国人の雲水・参禅者も多かった道場です。


原田祖岳老師と原田雪水老師の堂頭(どうちょう)老師時代は、発心寺の新聞(月報)に、「今月の見性者」の名前を掲載するようなことまでされていました。

幸いに、雪担和尚が掛錫された頃の発心寺は、目の開いた維那和尚(のちの原田雪渓老師(昭和1年1926年生))が雲水のリーダーとしておられたので、『雲水日記』を読んでも分かるように、他にすることがないので上のものが下のものをいじめるような風潮はなく、みんな真剣に修行しているところが見て取れます。

この日記はとても貴重です。


※この原田雪水老師の後継ぎとして、蜂須賀雪渓和尚が、住職を嗣ぐ都合で(養子縁組をして)原田姓となって、原田雪渓老師として、発心寺専門僧堂の堂頭老師になられています。

姓は原田ですが、原田祖岳老師系統ではないのです。