間違えやすい修行のポイントー原田雪溪老師


「今からは、坐禅だ、功夫だ、なんだかんだとごたごたお考えにならずに、本当に葛藤にまかせ、雑念のままにまかせて、一切手をつけずにお坐りください。」
―原田雪溪老師

修行とは、現在の自分を修行して完成させることではない


「間違えてはならないのは、『修正していくのが修行ではなく、修正しようとしている自分を捨てるのが修行である』ということです。」


教わった通りに無我になろうとしても決してなれないわけ


「無我になろう、あるいは仏になろうとしている自分を忘じた様子が、真の無我であり、仏というべきです。
いい換えれば、ものの見方や考え方を学ぼうとしている自分を捨てたところに、無とか空とか言うものの見方や考え方を離れたものがある。

そういうことを実証していくのが、禅の修行です」


本当の坐禅の仕方:一切手をつけないと雑念も問題がない

d9dbf3b3307e8017f3ac90f2d304f82d_s「今からは、坐禅だ、功夫だ、なんだかんだとごたごたお考えにならずに、本当に葛藤にまかせ、雑念のままにまかせて、一切手をつけずにお坐りください。

そうすれば、脱落というものは、自分がもとめなくても必ずきちんと自覚できるものです」

―以上は原田雪溪老師のことば『 The・禅―ダルマは世界を駆ける』より

【注 意】今から原田雪溪老師の本を読んで下さいということではありません。
1926年生まれの原田老師は2020年6月22日に遷化されました。

悟りを開くための修行は正しい坐禅をすること:川上雪担老師


本当の坐禅―祖師禅

東山寺の老師(川上雪担老師)の会下(えか=参禅者)には、野球をやっている最中に、
「自分の頭がない 頭が消えた。どこ行ったんだ」と騒いだ人がいます。

午前中に若い女の子が雪担老師のお寺にやって来て、午後には正しい坐禅の仕方を覚えて坐れるようになった
と言われています。

初心の弁道、おそるべし。


長年「厳しい修行」して苦労している修行僧も真っ青です。

長年参禅を続けて提唱を聞いている古参の居士(こじ)も真っ青です。
※古参(こさん)とは古株、ベテラン


それが祖師の坐禅の結果です。
正しい指導者についた結果です。
ちゃんと提唱を聞いて、聞いたことが間違っていないか確かめるために質問した結果です。


前記事の聖者の禅定とは異なるのです。
聖者のお坊さんの努力は素晴らしいですし、人格者かもしれませんが、仏道は人格の道の上を行きます。なので仏道です。
本当の仏道は、すでに仏であることを自覚することだと言われているゆえんです。

自分を清浄にして、微塵も汚れぬよう万全の注意を払いつつ、修行に修行を続けて行くというのは、
本当の修行とは違うと祖師方は教えてくださっています。