修行僧達はとにかくよく坐禅をしたー井上義衍老師の玉ねぎ僧堂

玉ねぎ僧堂とは、托鉢に行って道端に玉葱が一個落ちていたので、それを食料として修行僧たちで分け合ったことに由来する。 浜松の井上義衍老師のお寺のこと。


以下は、川上雪担老師『雲水日記四』からの引用です。


小浜の鬼僧堂・発心寺専門僧堂から、川上雪担和尚が抜け出して浜松の井上義衍老師のところに向かいます。

その後、道友の斎藤大心和尚が浜松に来ます。


発心寺専門僧堂を抜け出して、浜松の玉葱僧堂に掛搭して、井上義衍老師に相見

 以下は、川上雪担老師『雲水日記四』からの引用です。

 死んだって文句も云えぬ、戒厳令下の[発心寺]僧堂摂心を抜け出した。でかちゃんがのっこり歩いている、危うく交わして電車に乗った。荷物は大心和尚が纏(まと)めてくれるという、

着流しの衣に絡子に頭陀袋、ひげは剃らぬまま、下駄履き、
(若し会いに行って[井上義衍老師が]本物でなかったらどうする。)

 これが最後だ。母と弟になんと云えばいい、
(もうどこへも行けぬ。)


雪担和尚、浜松に到着

 一夜まんじりともせずに、電車を乗り継ぐ。
 早朝浜松の駅に着いた、云われた通りに電話する、
[井上義衍老師]「電話じゃわからんで、まず来てみなさい。」
 切り口上の、学者のような口調、

(学者じゃどうしようもねえ。)

 バスに揺られて三〇分、茶畑の中を行く。山寺という愛称の通り、こじんまりした寺に山門ならぬ、冠木門 [ かぶきもん=屋根がない門] があった。

 玄関に白衣着流しの、たくましいというか、どっか田舎じっさみたいな人が立つ、やけになって、いきなりぶっつけた。



雪担和尚、義衍老師に尋ねる

[雪担和尚]「座禅はなんの為にするんですか。」

[義衍老師]「もとこのとおりあったものが、いつのまにか自分でも知らぬまに、おかしくなってしまっている、それをもういっぺんきしっと元へ戻す。」

 問い終わらぬうちに答えが返る、壁のように八方虚空から、

[雪担和尚]「信じろと云われました、どうしても信じなけりゃいかんですか。」

[義衍老師]「信じようが信じまいがもとこのとおりにある。」

 あっはっは信は不信の始まりというが、

[雪担和尚]「このままでいいっていう、それをどうして修行だのなんだのいう。」

[義衍老師]「このままでさっぱりよくないといっている自分を忘れる。」


[雪担和尚]「わたしは長い間文学だの音楽だのいう、やくざなことをして、ゲーテはゲーテの世界ピカソはピカソの風景という、百人百様のその上そいつが破れほうけて、目茶苦茶というかどうもならんのですが。」
 しまいそのように聞くと、

[義衍老師]「しばらくほっといたらいいです。」
 と云った。
[義衍老師]「ほらこうあるこれっきゃないんです、とやこうのことは嵐や木枯らしのように納まるんです。」


 父に会えた、わしはそう思った、語の響きであったか、ほとんど話はちんぷんかんぷんだった。ともあれ長い遍歴終わる、出家前からの遍歴に違いぬ。


 参禅を許されて、門前にある阿弥陀堂(現在も本堂前に阿弥陀堂がある)へ入った。屋根が破れて月光が降る。

 雨をしのぐ部屋には、夜具一式と鍋釜茶碗に、五合の米と味噌醤油があった。ビニールに包んできしんと納まる。

(玉葱僧堂=浜松龍泉寺の先輩だ。)
 目頭が熱くなる。


斎藤大心和尚も玉ねぎ僧堂に掛搭して来る

 破竹の林があった、筍を取って三日食いつないだら、[発心寺専門僧堂から]大心和尚が来た、我国最後の雲水という、さっそうたる行脚姿、
[大心和尚]「どうだ。」
[雪担和尚]「うん。」
[大心和尚]「なにいここへ来てまだ文句云うってんなら、そんなもんわしら知らねえぞ。」
[雪担和尚]「違う。」
 感極まってさと、和尚は老師に挨拶に行く、義衍老師、にこにこ帰って来て、
「ここは手狭だ、下にもうちょっとましなとこあるから行こう。」
 と云った。

聞き及ぶその浜砂の一握の正師に会へりこの我にして



お堂から空き寺に移動する

 それは無住になった黄ばく[黄檗宗の寺院:実性寺]の寺であった。

この辺り土葬の風習があり、寺にはお骨のない空墓が建ち、別に土饅頭の塚所がある、つまりその守り寺であった。土饅頭が半分崩れて、ごん太いわらびが生える、大心和尚と二人、よくそれを取って食った。

 竈(かまど)があり台所がある、ここもまたよく整頓されて、鍋・釜・茶碗類、二つの部屋には、夜具もあり蚊帳(かや)があった。

電気はなかった。

 掃除して、坐る所と部屋を決め、届いた荷物を片寄せて、
「では落ち着きのいっぱいやっか。」
「おれ酒買う。」
 わし肴買おうといって、じき下のなんでも屋へ行く。
蚊帳を張って、入り込んで月の明かりに一献。

 明くる朝はでん坐る、
「首つながったんだぜ、もう四の五の云ってるひまはねえんだ。」



大心和尚は坐禅したらもう動かない

 大心和尚、坐ったっきり動かない。
「飯の支度を。」
「いやわしする。」
 どっか掃除をたって、いいや任しとけ、一柱も三柱(柱は炷のつもり)もあったもんではない、とにかく本人が坐ったきりじゃ、さぼるもわけにもいかん。

※一炷=一本の線香が燃え尽きるまでの時間で坐禅時間を計測したことによる いっちゅう 今の曹洞宗は、一炷は40分 今の臨済宗は、一炷(いっしゅ と云う)は25分


 からんころん下駄履いて、県道を独参に行く。

 型通りお拝するには、
「いいからもそっとこっちへ来なさい。」
 春風駘蕩と老師、茶所のいいお茶を煎れる、その急須と茶碗を示して、
「どっちが大きいです。」
 と聞く、どっち大きいたって、ー
 あるいは、
「どんな色してます。」
 と聞く、そりゃもうこげちゃ色で、二度三度するうち、色もなく大小なく。
 ふっとけだるいような、
「いやなに、ちょっとこれのありようを見させてやろうと思ってな。」
 後に老師は云った。

 中古の自転車を買った、それに乗って銭湯へ行く、駅まではまた遠かった。お粥には昆布といって、浜松の街まで買い出しに行って、帰りに映画を見た。


川上雪担和尚が語る飯田欓隠老師のこと

「飯田とう陰さんも映画好きでさ、小浜の映画館抜け出しちゃ行ってたって。」

 あれほれどうなってんかな、向こうがこっちんなっちゃってこう動いてんだ。

 てなわけには行かず。大顯とう陰大和尚、発心寺亡僧ふ吟にたしかあった。いろんな伝説が残っていた、一転語人に云われると、ああ烏が鳴くと云った。門前にむしろ掛けして住んでいた。朝っぱらから酒を飲んでいる、雲衲が註進に及んだ、飛び出して来た祖岳老師、一睨みでいすくんじまったなと。

 [飯田欓隠老師は]只管打坐を[井上義衍]老師に伝えた人である。


体験

 草むしりをしていると、
「はて。」
 という、なにをするかわからない感じ、井戸の水を汲む、汲み終わってから、
「あれ、水を汲んでいた。」
 と気がつく、清水のようなものが走る。老師に挙すと、
「むろん後の方がいい。」
 と云った。



龍泉寺の摂心は2ヶ月に1回

ご飯まで、座禅しっぱなし

坐禅中の2雲水たち 摂心は隔月にある、山寺の摂心には魂消(たまげ)た、坐ったらだれも動かない、柱開[抽解ちゅうかいの間違い]もなけりゃ食事やお経あるまで、でん坐ったっきり。

 こっちはトイレ行くふりして、なにしろさぼる。



大心和尚は始めての時、なにをこなくそうとて先輩達と同じに坐って、
「もうこうんなになっちまってさあ。」
 と、どうにもおかしくなった。大心和尚らしい。



 あるとき摂心に妄想が出て困る、よしこれをなんとかしてくれようとて、やればやるほどに妄想盛ん、三日四日真っ黒けになってやっていて、もうどうにでもなれ、お手上げ万歳したら、ぱあっとなんにもなくなる。
 なんにもないという、心意識が失せたんではない、それを取り扱うものが失せた、ぽっと出ぽっと消えると老師の云う、一つことになった。


 皆由無始貪嗔痴[かいゆうむしとんじんち]、取り払い取り去り生まれ変わり死に変りという、旧来の教えを免れること、これを証する。
「そうかい、でどうなんだ。」
 大心和尚に云われると、たしかに、
「どうなんだ。」
 と問い返す他なく。
「えいめんどうくさ、映画見に行こ。」
 と云って出かけて行く。

 老師提唱はさっぱり分からなかった、次に講台かちんとやるぜ、ほうれやったとか云ううち、なるほどと頷く。

「目を開いて相を見る、こりゃいいようなんだが、そうじゃない、自分がどういうものかと観察する、ではその自分如何という問題です、あるいはまったくの嘘なんです、相というたとい何相であっても、そんなものありっこないんでしょう。心は境に随い起こる、いいですか心といったって、もと自分のものなんかない、いえ自分のもの目に見えないんです、異論諸相としてこうある、世間そのものです、囚われている何かしらあるんです、いったんそれを去って下さい、心虚無境、境処無心を知って下さい。」

 たとい分かったってたいていなんにもならない。

 いろんな人がいますよという。電車に乗ろうとしてどうにも乗れなかった、向こうの動きが同じになっちゃうんです。酒を飲んでいるのを見てたら、こっちが徳利持ってこう飲んでる、自分はどこへ行ったってアッハッハ慌てて捜す人とか、ですから割合坐中には少ないんです、坐ったあとこう構えるのが外れるんです。

 人真似したってそれは駄目ですよと。



 臘八になった、何日めかにまた、
(おれがおれになった。)
 という不思議な。 
 薬石後在家がよったくって、老師を招いて坐談する。老師はいきなり、
「雪担さん、どうですそれでいいんでしょう。」
 と聞く、
「はあ。」
「でもちらと残っている気がする。」
 その通りであった。
 残るは修行が足りぬと、そうではないちらとも、
「ある気がする。」
 のだ。臘八総評に老師は、
「大心さんはいい線を行く、雪担さんはちらとも気がついた。」
 と云った。


3日間坐禅し続けた大心和尚

大心和尚諸方遍歴ののちに、浜松に至る。
「いやへんなのが、のこのこ歩いてるんだ、可哀想だ呼ばってやれつってな。」
 と、後に禅師になったのがいった、それは玉葱僧堂の托鉢だった、
「先輩方理想だと思ったぜ、そりゃ今でもそう思う。」
 と大心和尚。参じ去り参じ来たって、十年になんなんとする、
「老師のもとをはなれたらいかん、無駄な時間が多かった。」
 ついに得ようとする。

 手縫いのふっさりとしたお袈裟を持つ、嗣法の印である。毎朝それを塔けて東へ、奥の正法寺[大心和尚の師匠の細川石屋せきおく老師]へ遙拝する。
 高校中退の大心和尚と、大学裏表のわしと、なにしろわしは坐るに飽いて、
「いっぺえやっか。」
といっては議論を吹っかけた。ついぞ勝てた試しがなかった。

「おまえはしょうがないやつだ、別々に暮らそう、向こうへ行け。」
 という、仕方ないまた阿弥陀堂の住人になる。時として行ってみると、三日も坐ったまんまでいたりする。
 銭がなくなると二人托鉢に行った。
 

※お寺に迷惑をかけないように、雲水は托鉢に行っていた。



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