全ての専門僧堂いったん閉鎖へ 曹洞宗内局が議案提出


全僧堂いったん閉鎖へ 曹洞宗内局が議案提出 - ニュース:中外日報 www.chugainippoh.co.jp  ニュース
2018/06/28 - 曹洞宗第130回通常宗議会が25日に檀信徒会館で開かれ、2022年9月30日までに全国の専門僧堂(27僧堂)の認可をいったん取り消す「教育規程中一部変更案」等が上程された。

●主な規則変更点
〇選挙規程中、前回承認された選挙規程においての細部変更。
〇宗務所規程中、宗務所長の辞任届の取り扱いについて。
〇教育規程中、国内に存するすべての僧堂の認可を平成34年9月30日に取り消す。その翌日に継続して専門僧堂を設置し
ようとするときは、あらかじめ認可を受けなければならない。

僧堂生活がちょっと見られる映画『ファンシイダンス』(1989)

主演は本木雅弘、他に竹中直人、鈴木保奈美、彦摩呂など
見れない場合は、https://youtu.be/jnc-lfNB7P4 へ
大映



お金はどうするかって?
毎月金(しんきん)というお小遣いがほんの少し僧堂からもらえます。5,000円くらいです。
あとは、人によっては、師匠(親)からもらっているのだと思います。

道場によっては、一ヶ月10万円を越えるところもあるとかです。
(人によっては、そういう道場に行って真面目に暮らしてほぼ全額貯金して、お寺に帰る頃には数百万円の貯金になっているとかです)

托鉢して得たお米やお布施(現金)は僧堂の会計に入ります。自分のお小遣いにはなりません。
道場として托鉢しているからです。

僧堂に居れば、食費、住居費、光熱費、通信費はかかりません。


映画中に出てくる罰策ばっさく とは

原田雪渓老師も罰策を受けた!
昭和1年生まれの蜂須賀雪渓和尚は、發心寺僧堂の弟子なのに昭和26年にそこを抜け出して浜松の井上義衍老師のもとに行って参禅されました。
紆余曲折を経て、発心寺に戻った時は、罰策として、ひどい縦警策(たてきょうさく)を食らったとのことです。


川上雪担老師の雲水日記五に「 [雪渓和尚が発心寺に戻ったときには] すんでに死ぬところであった」という記述があります。雲水日記は、昭和40年ころの発心寺と浜松龍泉寺の様子です。


雪渓老師も、罰策(ばっさく)は覚悟して、戻られたに違いないです。

(そのあと、原田雪水老師のあとを襲って、養子縁組して改名、原田雪渓老師となり発心寺住職・発心寺僧堂堂頭(どうちょう)老師となられた 今は高齢につき、指導は不可能 僧堂に跡継ぎはなし  原田雪渓老師の印可証明をもらわれたある和尚はすでに遷化(せんげ)されています)



警策の打ち方と罰策

罰策(ばっさく)とは、警策(きょうさく・けいさく)で罰棒されることです。
一番きついのは縦警策(たてきょうさく)です。

曹洞宗では「きょうさく」と呼び、臨済宗では 「けいさく」 と呼びます。
750kyousaku通常、止静(しじょう=坐禅)中に巡って打つ時は、平たい棒である警策を、平たい面の先端で肩を打ちます。
上手にやると「パン」と音だけして、痛くないのです。手首の力を抜いて、肩に当たった時に、跳ね返すように打ちます。

音だけ凄い音を立てていかにも痛そうに聞こえるように、デモンストレーション的にやることも上手にやれば可能です。
受けている人はまったく痛くないのです。


しかし、肩に当たった時に、押さえ込むようにすれば、かなり痛くなります。
もちろん、警策自体が分厚ければ、それだけ痛さが増します。

下手な人がやれば、稀に肩の骨に当たったり、耳をかすったりしてとても痛いです。
寒い時に耳に当たるとたまらんです。

下手なのでなくてわざとかもしれません。
MLBの野球の死球みたいなものです。ミスったのかわざとか分からないのです。

でも、僧堂の場合は、いくら警策が下手で痛くても、耳に当たっても、受けた後は知らん顔をして坐禅を続けます。



縦警策というのは、警策の平たい面ではなくて、断面の方で打つことです。
ちょうど木刀のような使い方になります。

木刀より、当たる面は細いので、当然めちゃくちゃ痛いと思われます。
もちろん、警策の木自体は、すごく細いので木刀をイメージすると全然違います。


管理人は、縦警策をやったことも受けたこともないですし、他の人が罰則として、縦警策を入れるのを見聞したことはありません。



なんで、仏教の修行場なのにそんなひどいことをということになりますが、あくまでも重大な違反行為に対して行われるものです。
多分誰かが始めて残っている風習だと思われます。

男子ばかりの体育会系の部活とそんなに変わりません。

悟っている人が一人でも二人でも道場にいて、やめて行けばそのような風習はなくなるはずですが。。。



六祖慧能さんがまだお坊さんではなくて米つきをしながら、五祖大師の道場で修行していて、最終的に印可証明をもらった時も、大衆(だいしゅ=修行者の総称 だいしゅう ではありません 修証義をしゅしょうぎ と読むのと同じです)の予想外のことでしたので、下手すれば米搗きなのに印可をもらったということで慧能が殺されるかも知れないということで、老師である五祖大師が夜中にこそっと慧能さんを送り出す場面がありますが、昔も今もそんなに変わらないのでしょう。

厳しい戒律を守って長年修行し、人格者としてもみんなに慕われている僧侶が印可されないで、なんで来たばかりの素性もハッキリしない米つきの俗人の慧能が印可されるのだという正義感は時として暴力、殺意になります。

そういう殺意や義憤が一番恐ろしいです。本人たちは正義だと思っていますから。

思い・考えに騙されると何をしでかすか分かりません。


(ちなみに、軍隊出身の慧明という僧侶が慧能さんを追いかけて追いつき、印可証明の印のお袈裟と応量器を奪い返そうとして問答して、逆に悟りを開いてしまいます⇒無門関「不思善悪」に書いてあります それ以降、五祖大師のお寺でも悟る人が相次いだようです 一人が開悟すると、他の人が「俺にもできるかも」と思い始め、正しい方向で修行に励むからです)


昭和23年に中卒で僧堂に掛搭された哲玄老師によれば、昭和20年に戦争が終わって、一部の兵隊さんが、軍隊の規律と似ていて生活しやすいので僧堂にグループで入門してきて、先輩になってから、軍隊の上下関係の厳しさや制裁方法を導入したのが、引き継がれて残っているのだと云われたことがありました。


僧堂の仕組み自体は、世の中にたくさん取り入れられています。
「知事」という用語は禅宗の役職『六知事』から来ている用語です。
他にも、安心、有頂天(うちょうてん)、億劫(おっくう)、我慢、愚痴、玄関、食堂(じきどう)、知事、未曾有(みぞう)などは仏教由来のことばですね。


曹洞宗の警策と臨済宗の警策

ところで、曹洞宗は、僧侶はお袈裟を掛けて坐禅をするので、お袈裟の掛かっている左肩は警策(きょうさく)では打たず、右肩のみとなり、在家の方も右肩のみを打たれるだけです。

臨済宗の僧侶は、袈裟けさ(お袈裟とは呼ばないです)は付けずに、絡子(らくす)なので、警策(けいさく)は、絡子を外してもらって、両肩を打ちます。在家の人も両肩を打たれます。いわばダブルです。


現代における専門僧堂生活の意義

ちなみに、僧堂生活自体は慣れれば、一年も経過すれば、快適です。
上になれば、だれもほぼ変な事はしてきません。

夏は暑く、冬はとてつもなく寒いだけです(剃髪をしていて髪の毛がない分、とても寒いです、いや涼しいです 夏は直射日光は熱いです 戸外では作務の時はタオルを被ります)

家賃や支払いの心配もなく食いっぱぐれることもありません。

それよりも、如何に己事究明に励むかです。
ちゃんと眼を備えた指導者がいて、自分も励むのでなければ、何年やろうが外面だけの修行になってしまいます。

何も坐禅功夫(工夫)しなくても道場生活はやり過ごせます。


現在は、ほぼ住職資格を取得するためだけになっています。
専門僧堂の制度自体がそのために作られているだけですから。

臨済宗も曹洞宗も悟りや見性を目指してはいません。現代にそれが可能だとも思っていません。
もちろん、専門僧堂でも本来の修行に励む人はわずかですが、います。

でも眼の開いた指導者が…というところですね。


色々な矛盾はあるにしても僧堂生活をすることには大いに意義はあります。
粗衣粗食(?)だし、結構肉体労働が多いし、睡眠時間が短いので、健康にも良いです。

近頃言われている一日7時間睡眠が健康に良いというのはお医者さんがお金儲けのために作った説です。
陰で睡眠薬を売ろうとしています。

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企業がある製品のテストをする時には、自社に都合の良いデータが取れるまで、統計を取り続けます。
いくらでもデータは作り出せます。

場合によっては、最近の政府の統計不正問題ではないですけれど、改ざんまでやります。

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僧堂では、お金も使わなくて良いです。

下山する頃には、みんな逞しくなります。


タイのように日本でも国民に2,3年の僧堂生活を義務化しても良いと思えるくらいです。

※僧堂生活の悩みは、供養が行き届いていて、外部からお布施される食べ物が豊富過ぎて、残ったものを下のものが無理やり(吐くまで)食べさせられてそれが大変だという皮肉なことになっています。

上の人になればなるほど、食べないのです。新米(新到しんとう)の時に、上の人ほど食べないのが不思議に思いました。
最近でこそ、一日一食が良いなどと言われるようになってきましたが、上の人達は、食べないほど健康になるということを当時でもすでに知っていたのでしょうか。


逆に、世間の人は知りませんが、お寺には厖大な資産があってすごく裕福なのに、専門僧堂ではわざと粗食にして、かっけ(脚気)にならせるような道場もあります。
専門僧堂は、厳しいところだというイメージを植え付けたいのでしょうか。

それも変なことですね。


そういうお寺に外部から修行に行くと、有料なら、朱色のお膳に盛り付けた素晴らしい精進料理を出してくれますが、そのようなご馳走は普段は雲水は食べていません。

あれはあくまでもお客さん用です。