聖者の禅定(ぜんじょう)は、いくら長時間でも祖師(そし)の禅定に及ばない

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聖者のお坊さんが長い間禅定に入っていたので、鳥が聖者の頭に巣を作った


1446790昔の中国での話。山に籠もって禅定に入っているお坊さんの聖者が居ました。
ほぼ一日中、禅定に入りっぱなしなのと、聖者の慈愛を感じたのだろうか、鳥たちが聖者の所にやってくるようになりました。

聖者も動かないので、鳥が頭に巣を作り始めました。
聖者はそれを振り払うのも可哀想なのでそのままにしました。

やがて、聖者の頭に巣が完成し、そこには雛鳥が誕生するようになりました。

それを通りがかった村人がびっくりして、他の村人に話しました。
やがてその話は、村じゅうに伝わり、隣村にも広まりました。

遠くから、そのありがたいお姿を見に来る人、拝みに来る人などが現れ、食べ物や衣類の供養も多くなりました。
水を運んでくる人も出てきました。

ちゃんとした小屋も建てられました。

生き仏のように尊敬されるようになりました。


お坊さん登場して、聖者の禅定の実態を知る

たまたま近くの町を通った、ある祖師(そし)の弟子のお坊さんが居ました。
そして、頭に鳥の巣がある聖者の話が耳に入りました。

※祖師(そし)とは、お釈迦様と全く同じ悟りを直接体験し、お釈迦様の仏法をそっくりそのまま伝えている方々


感ずるところがあって、その僧は、聖者のところに来ました。
禅定に入っている聖者の邪魔とか、おかまいなく、話しかけました。

「それは本当の禅定ではないですよ。禅定から出たら、元の木阿弥になるでしょう?

そんな坐禅ではいけません。

そんなの何十年やろうが、死ぬまでやろうが、あなたの苦悩は根本的な解決になりませんよ。

わたしの参禅している正師(しょうし)に一度会ってみてはいかがでしょうか?

迷うことはないでしょう。

師に会って得るところがなかったら、また戻ってくればよいです」


そんな意味のことを話しました。


村人に生き仏様のように尊敬されている聖者に向かって、大胆なお坊さんですね。
聖者は生き仏に見えるが、苦悩の根源が断たれていないことを見て取りました。

この僧はすでにかなりの力量があったと見えます。


聖者、感ずるところがあり、旅のお坊さんに従う

聖者は、素直だったのでしょう。
人様には生き仏と崇められていても、自分自身ふりかえって、まだ根本が解決していないことに気づきました。
正直な人だったのでしょう。

その僧の言うことは一理あると思い、その僧が師事している禅師(ぜんじ)に会いたいと思いました。


soshihowotoku聖者は僧に従って旅をし、祖師に会いに行きました。

そこで祖師である和尚と問答を交わし、自分はまだ至っていないことを明確に知り、そこで本当の坐禅の修行を始めました。


元々純粋な聖者ですから、修行はトントンと進み、大悟徹底することができました。


結果、聖者じゃなくなり、鳥も巣を作らなくなった

soshiinmountainやがて、師の下を離れ、また、山に入っていきました。
唐代の昔から、祖師方は、仏法を伝えられても、師匠の寺を嗣(つ)ぐことはありません。

もし、そこに留まれば、食べ物などは困らないし、生活の心配はありません。
師の徳を慕って、いろいろな人が集まり物資が集まっているからです。

師の遷化(せんげ)後は、法をそこで説けば、大勢の人が仏法に触れられるでしょう。

でも、そのお寺に弟子が集まり、人が集まり、物資が集まるのは師匠の徳です。
自分の徳ではありません。

なので修行が終わると、必ずそこを離れて別の山に行きます。


別の山に人が集まれば良し、だれも来なくても良し
そんな感じです。

この狭い日本でやるのではなくて、あの広大な中国でそれをやるのですから、相当なものです。
師匠のお寺を嗣ぐ(つぐ)、そんな考えもないのでしょう。
youtubeもありませんから、人が見出してくれるかどうかは分かりません。


ともかく、元聖者は、修行が終わったので師匠のもとを辞し、別の山に入りました。

しかしながら、今度は、鳥が彼を見つけても巣を作ろうとはしなかったそうです。

聖者なのか、愚者なのか分からない、人も鳥もそう感じたそうです。
別に聖者じゃなくなったそうです。

普通の人になったそうです。

でも、普通の人ではないでしょう! と我々は言いたくなりますね。


これは史実で祖録にも記載があるのですが、上記の祖師がどなたであったのか、その典拠を見いだせません。その時間もありませんので、ご容赦のほどお願い申し上げます。


釈尊も最初は禅定を学んだ

お釈迦様(釈尊)つまりゴータマがお城を出て、まず数年間、アーラーラ・カーラーマとウッダカラーマプッタというヨーギに師事して、瞑想を学ばれます。

alara kalamaまずは、アーラーラ・カーラーマというヨーギと申しますか、仙人(リシ)と申しますか、その人に師事して師と同じ無所有処定(むしょゆうしょじょう)という禅定(ぜんじょう)を極めて短期間に習得しました。さすがはお釈迦様です。(左図)
アーラーラはたいへん驚いて、後進の指導を頼みますが、青年ゴータマは、自分の問題が解決していないことを知っていたので、その師のもとを離れます。


次に、ウッダカラーマプッタというヨーギと申しますか、仙人(リシ)に師事して、師と同じ非想非非想処定(ひそうひひそうしょじょう)という禅定(ぜんじょう)を極めて短期間に習得しました。さすがはお釈迦様です。

ウッダカ仙人はたいへん驚いて、後進の指導を頼みますが、青年ゴータマは、自分の問題が解決していないことを知っていたので、その師のもとを離れます。

buddha'smeditation(そのあとゴータマ青年は苦行に入ります 今の日本だったら、荒行とか不眠不休不食不飲とかでしょうか 今までだれも耐えられなかったほどの苦行をしたのですが、苦行が根本的な解決にはならず無意味と分かり、最後は、乳粥をいただいて体力も回復させて、坐禅に入られてお悟りを開かれます)


上記の鳥の巣聖者は、非想非非想処定とかそのような禅定を体得していたのでしょうか。


禅定の種類

ちなみに、欲界、色界(しきかい) ※ここでの色とは、rupa 物質のこと  
のさらに上に位置する無色界(むしきかい)は四層から成り立っていて、
下から順に
・空無辺処(くうむへんしょ)
・識無辺処(しきむへんしょ)
・無所有処(むしょゆうしょ)
・非想非非想処(ひそう-ひひそう-しょ)
と呼ばれる四段階の禅定で入れる四つの世界があるとされます。
分別心は、分類大好きです。
これらはすべて理論です。
これを総合して、無色界定むしきかいじょう と呼びます。

非想非非想処が最高の位置で有頂天(うちょうてん)(非想非非想天、非想非非想処)とも言われます。
最高の禅定が非想非非想処の禅定ですね。
でも、天ですから、まだ救われていないところです。
観念で作り上げた世界です。

禅では、「一超直入如来地」(いっちょうじきにゅう・にょらいじ)と言って、
段階をぶっ飛ばして、一足飛びに如来になる と言います。

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ところで、西洋人は、「仏教は慈悲」だと思っているそうです。
「事実」とか「当たり前の人になる」なんて聞くと、とっても物足らないみたいです。
ありがたくないようです。


東大卒・川上雪担老師の弟子たち 

東山寺の老師(川上雪担老師)の会下(えか=参禅者)には、

野球をやっている最中に、
「自分の頭がない 頭が消えた。どこ行ったんだ」と騒いだ人がいます。

午前中に女の子が雪担老師のお寺にやって来て、午後にはもう坐禅を覚えた。

それが祖師の坐禅の結果です。


正しい指導者に師事すれば、
別にどこかに引き籠って坐禅に専心しなくても、坐禅の力は得られるのです。

断食を何日間しなければという前提条件、一切なしに、本当の坐禅ができるのです。

今世の中にある坐禅なら何でも良いわけではありません。