悟後の修行なんて無いですよ。
それは、悟りそこねたんです。

lightandhighway

井上老師系統の教え?

どこかに井上系統とか書いてあるのを読んだことがありましたけれど、井上系統とかあるんですかね。


お釈迦さんは「井上」ではないですよね、(会場笑)
道元さんもたしか「井上」ではなかったと思います。(会場笑)


ある時、訪問者が、「松本さんは井上系統ですよね?」って、言われましたけれど、わたしは、即座に
「いいえ」って答えましたよ。

もちろん、松本系統もありません。

偶々、井上義衍老師という方がお出になって、お弟子さんたちが多くて、ハッキリされていた(悟っていた) からなんでしょうけれどね。

―松本自證師 ある日の昼食後の提唱から

悟後の修行はない

悟後の修行なんて無いですよ。
それは、悟りそこねたんです。
認識が落ちきっていなかったのでしょうね。
(松本自證師も一度大悟されましたが、それが決着の体験とはならなかったようです 自身も悟りそこねた経験からのことばです 参禅者にはなぜそれが悟りそこねたかのかのメカニズムを話されたことがあります  悟らない時(=一瞥や大悟だけに終わるなど)のメカニズムはこちらの記事を)

[ 悟後の修行が必要という人たちが言う ] 悟りを深めるということはありません。
悟りが浸透する (だから悟後の修行が必要) なんてことも無いですよ。
「ほらっ!」

悟りに段階はありません。

悟ると元には戻りません。
自他がなくなります。

元々自他はないのですから。


でも、「わたしは悟った」という様子ではないですよ。

―松本自證師



本当に一度認識が切れないと、「事実」は分からないのです。
「事実」を示すことができません。

今は(修行中は)自分がないと思えなくても構わないですよ。

[ 悟れば ] 悟る前には戻れないんです。
―松本自證師



修行中のことー松本自證師の語録

わたしに何か特別な素質があったわけではないですよ。
皆さんと何も変わりません。


井上義衍ぎえん老師の本も修行の仕方が分からない時は読んでいましたけれど、
坐るだけだなあと思ってからは、本も読まなかったです。


スマホが気になるということはなかったです。


坐禅は好きではなかったですが、坐ればすべて解決できるのだから、坐禅しましたよ。
でも、日中の仕事もありましたし、一日何時間も坐禅していません。※
奥さんもいますし、
夕食後ですかね、坐禅を始めたのは。

摂心は、年に2回しか行っていません。

「あまり坐禅しなくても良いんだ」ではないですよ。


私は、隙間時間を使って、坐禅しましたよ。
坐布の上に座らなくても、椅子でも、ちょっと手が空いた時に、坐禅できますよ。
スマホを見るのではなくね。

電車の吊り革にぶら下がっていても坐禅できます。
吊り革にぶら下がっていて、つばを呑み込んだ時に、悟った人もいましたね。


夜の遅い時間にソファーに坐って坐禅しながら、眠くなるまで続けました。

だって、坐っているだけで全部解決できるんでしょう。
凄いことですよ。

他人の修行は参考になりません。

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仕事では、「手をつけない」って、出来ませんよ。
自分のことが呼ばれたのに、そのままにしていたら、クビになります。

仕事で認識を使うことは修行の邪魔にはなりません。

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職場の雰囲気がおかしかったり、ブラックだったり、肌に合わなければ、職場を変えるという選択肢もありますよ。

「このままだ」「今だけだ」「何もしないのが修行だ」を頭でやることではないんです。

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坐禅の境地で仕事をするなんてやめてくださいね。

坐禅の境地でお茶碗を洗うってありませんから。
その時に、思いも浮かびますよ。


坐禅の境地とかないです。


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坐禅は本当に一切手をつけないでいられるのです。
だから、いつか認識が止む時が来るのです。
坐り切るかどうかです。

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坐禅をする人が多いのに、悟る人が少ないのは、
それだけ坐禅中に余計なことをしている人が多いということです。
(坐禅は、「本当に何もしないこと」 だから)

そんなのやっていたら、何百年やっても悟れません。

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他で色々やって来た人は、苦労しますよ。
わたしがそうでしたから。

数息観とか随息観とかやった人は、混ぜてごっちゃにしないでくださいね。
それらは忘れてください。

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[ 悟れば ] 人間のこともすべて分かるのですよ。
どんな学者の研究より正確に見えるのです。

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自他がないと言っても、突然人を抱きしめたりしませんよ、怖いでしょう、そんなことされたら。


こないだも街を歩いていて(松本師は都内住み)、向こうからちょっとヤバイ人が変な足取りで歩いて来たので、道の端っこに行ってよけましたよ。

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◯ ハッキリした(悟ったら)ら、しばらく一人で坐禅を続けて下さい。だれかに[悟りを] 点検してもらって下さい。
[しばらく一人で坐禅をするのは、禅で古来から言われている「聖胎長養(しょうたいちょうよう)」]

すぐに他人に教えたりしないようにして下さい。

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松本自證師の「本物の坐禅は普通の坐禅とまったく違う」を読む

松本自證師のことばをこのブログでもっと読む
―松本自證師


※松本自證師は、本当の坐禅の仕方・正しい修行の方法を知らないと、いくら長時間坐禅しようが、何十年坐禅しようが、全く坐禅していないのと同じだと、いつもそこを強調されています。

※※松本自證師は、「事実」を示すことと正しい修行の仕方、方法なき坐禅のやり方とを伝えておられます。



長年摂心や坐禅会に通っていたにも関わらず、坐禅の仕方が分からず、 坐禅のやり方が分かった途端に、数カ月後に摂心という縁を得て、見性された人  上記の意味の「見性」ではありませんが の体験談
⇒  という記事を読む



 在家で悟りを開いた現代人:松本自證師 という記事を読む

 3日間耳の聞こえなかった体験―百丈禅師 を松本自證師が提唱 という記事を読む
 

松本自證師の 「仕事は修行の邪魔にならないー動中の工夫と坐禅の仕方」 という記事を読む


◇ 井上貫道老師の静岡坐禅会・高知坐禅会に参加する 
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