悟りの境地とは、悟りとは何か・悟りの障害物とは・悟りに至るための修行方法 についての松本自證師のことばを掲載

松本自證師は僧侶ではない在家の居士です 修行を続け、ある夜、時計の音で自己を忘じる体験があり修行を全て終えられました
 ⇒ 『全員が悟ってもいいんですよ』 を読む

悟りの境地

chikyu
◯ ハッキリする[ =悟りを開く ] と、その前に予想していたことと違いますよ、予想外です。


それまで色んな教えを聞いたり、瞑想を習って実習したりしていましたけれど、満足が行きませんでした。
ある時、たまたま大悟徹底している方の本を本屋で見つけて(今は本屋に置いてないです)、「これで修行が終わる」となぜか思えました。

それから、本を何冊か購入して、熟読して、悟ったらこんな風になるんじゃないかと予想したりしましたが、まったく外れていましたね。

だから早く諦めてください。



◯ 悟りは、何か意識の高揚した状態ではありません。
そういう意識状態はあるのでしょうけれど、わたしも正しい教えに出会うまで色々なことをやりましたし、体験もしましたから、あるでしょうけれど、体験者がいる限り、それがいつの間にか終わったり、元に戻ったりするということです。


ハッキリした時のことを桶の底が抜けると言った古人がありますが、うまく言えていますね。


悟りとは意識の状態ではないです。

人は、「宇宙意識」とかが好きなんですね。



◯ 非二元では、真相は「意識」と言っていますが、違いますね[間違っています]。

[管理人注:非二元とは、大乗仏教Mahayana の影響を受けたヒンズー教のごく一部の人たちが、体系化した教えであり哲学 アドヴァイタadvitaと言われる 
サット(存在)・チット(意識)・アーナンダ(歓喜)がその特徴 個々の魂は存在せずなので輪廻転生もなく、最初からブラフマン梵我のみあるとする 従って生まれ変わりもない 
シャンカラーチャーリヤが体系化した(著書vivekacudamani などでウパニシャッドに注釈をつけている) アドヴァイタヴェーダーンタとも言う 10数冊のウパニシャッドを典拠とする 


20世紀に出た南インドの聖者ラマナ・マハルシやその弟子プンジャジ、ニサルガダッタ・マハラジなどはアドヴァイタの体現者とされる 一般のヒンズー教徒からは、アドヴァイタは、大乗仏教と教義哲学が似ているので、大乗仏教徒ではないかと疑われている

ただ、「意識」が実相であるという点で、「ブラフマン」(梵我)という実体があるという点で、道元禅師も松本自證老師も、非二元はダメだと言われている。つまりそれらの聖者たちは悟っていないと。
ちなみに道元禅師は古代インド哲学も全部検証しておられる。ウパニシャッド哲学を全部読まれた形跡がある。凄い人です。


ヒンズー教というのはインドにある宗教の総称なので、様々な異なる教義や信条を一纏めにしていてヒンズー教と呼ぶのは無理がある]



◯ 仏道と他の似て非なる教えとは違うんです。
やっている人を否定するんじゃないですけど、真相とは違いますね。



◯ ハッキリした時は、「わたしは悟った」という様子ではないんです。



◯ (あの人は悟っているのですか、教えて下さいという質問に対して)
その人は事実を示していますか? 
ハッキリしていないと事実が示せないんです。


◯ ハッキリした時は、「老師の言われているとおりだった!」とはならないのです。想定外なのです。


◯ ハッキリした(悟ったら)ら、しばらく一人で坐禅を続けて下さい。だれかに[悟りを] 点検してもらって下さい。
[しばらく一人で坐禅をするのは、禅で古来から言われている「聖胎長養(しょうたいちょうよう)」]

すぐに他人に教えたりしないようにして下さい。


悟りの障害とは

◯ 悟りの内容とか真相について、集まって議論する人たちが居ますが、もし、真ん中に盲腸(虫垂炎)の人が居て、それを囲んで医者じゃない人たちが、これをどうしたら良いか、こうじゃないか、ああじゃないかとか言ってたら変でしょう。



◯ 教えを整理したりすることは不要です。
教えを整理して、いくら精緻にしたところで、決してハッキリすることはありません。
近似値にさえ近づかないですよ。

男性に多いのですね、こういうの。



◯ そういうことがなかなかやめられない人が多いんです。せっかく良いところまで来ていながら。


◯ (悟るためにはお坊さんにならないといけないですかという質問に対して)
仕事をすることは障害になりません。
長い時間が取れなくても、仕事の隙間でこうやって坐禅できますよ。

職場では別に法界定印(ほっかいじょういん)を結ばなくてもいいですから。



◯ ハッキリしてみたら、予想外です。
わたしもやりましたよ、ハッキリされている一人の老師の本を何冊も読んで、線を引いて、欄外にまとめを書いたりしました。

でも、悟ってみたら、全然違いましたから。

なので、推測は諦めて下さい。
早く諦めたもんがちです。

教えを整理して、いくら精緻な概念にしたところで、近いものにさえなっていません。
全然外れていますから。

そんな時間があるなら、坐ってくださいね。



◯ 一度寝てから、「今日,悟らないまま死んでしまったら嫌だから」と思って、また起き出して坐ることもありましたよ。
でも、[ 悟る直前 ] 一日6炷(ちゅう)も8炷(ちゅう)も坐っていませんよ。

[ 炷 は線香一本が燃え尽きる時間 それで坐禅時間を計測した 曹洞宗では1炷(ちゅう)=40分、臨済宗では線香が短いので1炷(しゅ)=25分 ] 曹洞宗と臨済宗では「炷」の読み方まで異なる


◯ 坐禅はどこだってできますよ。電車の中だってできます。ちょうど、電車で長時間かけて来られるんだったらいいじゃないですか。

[参禅者] 電車に座ったら、寝てしまうんですよね。
[松本自證師] 起きていてください。



◯ 決着がついた晩、やっとゆっくり寝られるんだなぁって思いましたよ。

悟りに至るための修行方法―今まで皆知らなかった

◯ 坐禅中に余計なことをしていることは自分では気づけないので、独参をしてくださいね。

余計なことをしている限り、坐禅を何万年やってもハッキリしませんよ。


◯ ハッキリすることは、決して難しくないのです。簡単とは言いませんけれど。
わたしでもできたのですから、どなたでも出来ますよ。

そのためにも、早く坐れるようになってくださいね。



◯ 悟りに段階はありません。だいぶ近いところまで来ているとかありませんから。もしあるとしたら、坐禅ができていないか坐禅が出来ているかだけです。

※[ 管理人 ]「坐禅ができていない」=「坐禅になっていない」ということです。
坐禅ができていないってどういうことだろうと疑問に思われた方は、「坐禅ができていません」
このブログで何度も訴えていますが、専門僧堂で20年修行した僧侶でも「坐禅ができていない」のです。それは正しい師に教えられていないからです。
なので、正しく坐れるって、どういうことなのだろうと思われた方は、松本自證師に参禅してくださいませ。[ 管理人 ]


―以上 松本自證師

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以上は、管理人が松本自證師から聞いたことを記憶を頼りにしての再現です。
言われたとおりのことを正確に文字に表現できていない部分があるかもしれません。