瞑想をすると頭痛がする・額や頭の締め付け感が起こる本当の原因

chakra

瞑想や坐禅をすると頭痛がすることや額の締め付け感はなぜ生じるか

瞑想をすると頭痛がする、坐禅をすると頭痛がするという経験は、瞑想や坐禅を熱心にされている方なら多少なりとも経験があると思います。

わたし(当ブログの管理人)も、坐禅して頭痛や額の締め付け感に悩まされた時期がありましたので他人事(ひとごと と読みます)ではありません。

この記事最下部にある
超能力を行使して50km離れた2つの寺院で朝の勤行をした禅僧
もお楽しみに


瞑想中の頭痛に対するヴィパッサナー瞑想指導僧侶の答え

ヴィパッサナー瞑想の指導しているある高僧に受講生が質問をしました。


「わたしは瞑想をすると頭痛が起こるのですが、なぜでしょうか?」

指導者「それはあなたの過去の怒りが出てきているのです」



この指導者の答えを聞いた時(サイトで見たのですが)に、わたしはこの指導者は全然瞑想していないなあと思いました。

そりゃ日本では本をたくさん書いていて、たいそう有名な方ですし、お弟子さんもたくさんいらっしゃる。
現在はともかく過去は自分のお国でそれなりの瞑想修行期間があったはずですから、瞑想をされたのでしょうけれど、多分真剣にやったことがない。
そう、思いました。


しかもこの方経典には通じているが、その答えはどこから導き出されたものだろうと大変疑問に思いました。


そもそも今の瞑想の頭痛の原因が過去の怒りだなんて、なぜ即座に回答が出るのでしょうか?

瞑想中の頭痛は好転反応だという答え

また、スピリチュアル系の指導者などは、
瞑想して起こる頭痛は、好転反応だと答えます。
ほぼ全員が瞑想中の頭痛は好転反応だととらえます。

不思議です。


なぜか、その人がどのように瞑想しているかを尋ねません。
教えたとおりにやっていないかもしれないですよ。

でも、頭痛や「頭の違和感」を訴えている人に質問をせずに、どこかから仕入れた答え(他人の答え)を異口同音に云うのです。

なぜか、瞑想の仕方が誤っているかもとは思わないのです。


上記の超有名な長老にしてもスピ系の指導者にしても、
「瞑想すると頭痛がするとか額の締め付け感の締めつけ感が起こるのはなぜでしょうか?」
って、聞かれたら、普通の答えは、

「どのように瞑想をしていますか?」

というのが第一声ではないでしょうか?

普通の会話ができる人なら、そうでしょう。
いきなり答えを出さないでしょう。

ダンスを踊っている生徒さんが、先生に
「なんか踊ると腰が痛くて痛くて」
と言ったら、先生は、
「ちょっと、ここで踊ってみて」
て言いますよね。
まず、その生徒さんの踊り方をチェックします。


なので、上の高僧の回答は、
質問「わたしは、夫とうまく行かないんです。」
即座に、答え「それは、過去のカルマのせいです。今生で、調和することをお互い学んでいるんです」
このような回答と同じです。

普通は、「どううまく行っていないのですか? もう少し状況を教えて下さい」と尋ねますよね。これが正常人の第一声です。


DV夫だったとしても、今生で学ぶためにこれからずっと我慢するんですか?
そのまま一緒に生活すると、場合によっては死んでしまうかもしれないのですよ。


「相手の状況も尋ねずに、答えを出す」
意外にこんなことをする自称「指導者」が多いんです。

でも、本人に悪気はないかもしれません。

わざと嘘を言っているという意識はありません。

だから余計に危ないんです。

根拠のない発言ではありますけどね。


瞑想中の頭痛・額の締め付け感は松果体が目覚め始めているからか

7chakras
しかも、スピ系の瞑想指導者は、頭痛や額の締め付け感は、松果体つまり第6のチャクラが目覚め始めているからと瞑想者(多分自分のお客さんだから)を喜ばすような事を何の証拠もなく云うんです。



わたしはチャクラを否定しているのではありません。もちろん瞑想の凄さも知っています。

超能力も否定していません。(この記事の最下部に面白いことを書いています お坊さんが空を飛んだとしか思えない事実や 姿を消して悪さをしていて王様に見つかり殺されそうになったヨーギとか)

チャクラの光は20歳の時のヨガの瞑想で目覚めて以来何十年も見えているので、チャクラは否定しません。見えていると云っても、時々額からピカ―ッと銀色の筋のような光線が放たれるのです(リラックスしている時に出ますね 頭の締めつけ感、わたしも一時それに悩まされましたが、締めつけ感がある時は、光線は出ないんです)


ただ、
瞑想して額の締め付け感や頭痛が起こったからと云って、質問もせずに、原因を過去の怒りなどのカルマやチャクラに持っていくのは変だということなのです。

そう言われたら答えをもらった人は正解かどうか判断できないでしょう。
「もう少し詳しく説明して下さい」と聞いてみても良いかもしれませんね。

すると相手がどう出るかです。



回答

瞑想中の額の締め付け感や頭痛の原因は思考を操作したから

坐禅中の頭痛も額の締めつけ感も同じです。
原因は、カルマでもありませんし、チャクラでもありません。

思考を操作しよう とするからです。
あるいは、教えられたとおりの瞑想状態に意思の力で持って行こうとするからです。
瞑想状態をちからずくで作ろうとするからです。


思考を操ろうとすると、瞑想状態を作ろうとすると、頭痛が生じます。
特に出た思いをひっこめようとしますと頭痛になります。
ひどくない場合は額の締め付け感になります。孫悟空みたいな感じです。


一度試してみて下さい。
思いが出たらひっこめようとしてみて下さい。激しい頭痛が起こります。
そもそも思いは出たらそれを引っ込めることもできないのですが、それをやろうとするとメッチャ頭痛いです。

そこまでやらなくても、
日頃瞑想の指導者、坐禅の老師から習ったことを意思の力でやろうとすれば、額の締め付け感が起こり、それが昂じると頭痛となります。



結論

瞑想中の頭痛・額の締め付け感は、思い・思考を自分で操ろうとしたから

つまり、正しく瞑想できていない、正しく坐禅できていないから、瞑想中坐禅中に頭痛や額の締め付け感が起こるわけです。

思いに介入するから、頭痛が発生するのです。
程度が低ければ、頭の圧迫感・締めつけ感となります。

思いに介入してはいけないのです。
思い・思考を自分でコントロールしようとしてはいけないのです。


ここのところとても大事です。
お坊さん、特に坐禅修行を主体としている禅宗のお坊さんでも99.99%の人は、雑念を払うことが坐禅・瞑想だと信じています。

無念無想になることが坐禅の真骨頂だと思いこんでいます。

瞑想家もそうです。思いが少なくなれば瞑想がうまくできたと信じ込んでいます。


これ間違いなんです。禅宗の道場で異性を遠ざけて欲望を離れて5年、10年修行した人でも知らないんです。
それは正しい坐禅を教えている人がほぼいないからです。


思いに介入はできない、思いは操作できないのです。

お釈迦様も、悟られるよりもっと前に、仙人について瞑想を学び、無所有処定(むしょゆうしょ・じょう)や非想非非想処定(ひそう・ひひそうしょ・じょう)という思い・雑念がほぼなくなった瞑想状態をマスターしても悟れなかったのです。
その必要がないということです。


坐禅中、瞑想中であっても、思考・考えが起こらないようにすることもできません。
その必要もありません。
そして、思いに起こったことに気づくのは、その思いが去ってからです。


手動瞑想でも頭痛を起こす人がいます。
それも手の動きについて行かないといけないという意識が、頭痛を起こしています。
手の動きにいつもついて行けているのですが、他のことを考えてはいけないとか、一瞬なりとも手の動きからそれてはいけないという強迫観念に近い意識が脳に混乱をもたらし、頭痛を起こさせているのです。


もう一度言いますと、手の動きについていけてないことはないので、安心してリラックスして瞑想されれば、頭痛は起こりようがありません。
コメカミの圧迫感や頭の締めつけ感も起こりません。


昔、瞑想状態にある高僧の脳波を測定するという研究が大学医学部や心理学科で流行したことがありましたが、瞑想や坐禅をして頭痛がしがちな人の脳波や脳の神経の状態、脳内血流をしかるべき測定してみたら色々な面白いデータが得られるかもしれませんね。

画像診断もできれば、視覚的にも確認ができます。




【結 論】
瞑想中の頭痛や額の締め付け感は、
過去のカルマ無関係です。
松果体、残念ながら目覚めていません。

瞑想の頭痛の原因を過去のカルマに求めるのはやめていただきたいです。


それはともかく学ぶ側は、
瞑想や坐禅の指導をちゃんと受けないといけないと思います。
教えられた通りにやっていない場合のほうが多いです。
見えないのですから。

このブログでは、ちゃんと坐禅できる指導者を何人かご紹介させてもらっています。
坐禅指導で一番のおすすめは、松本自證老師ですね。



昔、キン斗(キント)雲という「脚の痛くならない円板」がネットで発売されていましたが、確か、一万円前後の値段、それを坐布(丸いクッション)の下に敷いて、接心に参加したことがありました。

独参でその当時の先生に「頭に輪っかを被ったみたいになるんですが、どうしてでしょうか?」と尋ねましたら、
その老師「そりゃ、キントン雲に乗っているんだから、頭に輪っかが出てきますよ」と仰ったんですが、この方の回答の方がよっぽど面白いですよ。孫悟空ですよね。


瞑想の指導者にだまされないよう用心して下さい

わたしも、坐禅して頭痛や額の締め付け感に悩まされた時期がありましたので他人事ではなかったのといい加減な回答をする指導者が多いので、ここに注意を喚起する意味で投稿しました。

現代は瞑想を指導すると生活ができる時代になりましたので、自分の利益のために嘘を教える人も多くなっています。お気をつけください。
みんながそうだということではなくて、良心的な指導者に混じって、巧妙なエセ指導者が沢山いるということです。あるいは、98%正しいことを言っていても残りの2%に嘘が混じっているので厄介なんです。
そういう指導者。もちろん人格のことを言っているのではありません。
立派な人格の方もいらっしゃるでしょう。

でもその嘘で、人は人生の大事な時間を奪われ、迷わされるのです。


ましては瞑想を習うのに数十万円も支払うのはお待ち下さい。

「坐禅」という名前で一時世を騒がせたカルト団体(名称は変更しています)に誘う手口もあります。


ちなみに、人を騙すのは100%騙すのではありません。99%は本当のことを言って、あとの1%で騙します。騙すのがうまい人はそうです。

99%善人、いい人、人格者を演じて、あとの1%であなたからお金を奪います。
それがプロのテクニックというものです。

仮に自分で騙そうという意識がなくても、無知つまり「それは過去の怒りだ」とか「松果体の目覚めだ」という無知も罪です。

なぜなら指導を受けた人は頭痛があるにもかかわらず、そのまま瞑想を続けるからです。



読者の方々の実家のご両親のところにも毎日やって来て、「何か困ったことはないですか?」と言って、重いものを持ってあげたり、片付けとかして、老親のお手伝いをして、気に入ってもらって、最後に高額な商品を売り込むのもそれに近い手口ですね。
数十万円の不要不急の布団セットとか、100万円以上するオール電化とかを販売するのですね。
結構ちゃんとした会社でも最近こんなセールスをするそうです。

銀行の窓口が、資産を増やしましょうとか云ってお年寄りに変額保険や投資信託を販売するのもその手口です。(銀行には、お客様の預けたお金の毎年2%、10%の手数料が入りますので、おいしい商売です)

くわばら、くわばら。


たしかにチャクラの目覚めというか超能力というものはあると思います

ちなみにわたしのチャクラの光線は特にご利益はありません。
ちょっと直観力が鋭いくらいです。予知能力と言いますか。

遠隔治療もありますよね。身近にできる人を知っています。
こないだもスカイプで離れたところに居るお客さんの激痛を取っていました。


竜樹菩薩も、日本のある禅僧もそういう能力がありましたね。
龍樹菩薩は仏教に帰依するまでは姿を消すことのできるヨーギでした。
それを悪用して王様に見つかりあやうく処刑されるところでした。
(後宮の女官と通じて妊娠させたからバレた)


日本の曹洞宗のある有名な僧侶は、何十キロも離れた2つの寺を毎日行き来していました。それって、絶対空を飛んだのだ(もしくは空間をワープした)としか思えないふしがあります。

調べればすぐに分かるのですが、この方は道元禅師の時代(鎌倉時代)からそう離れていない人です。
曹洞宗の記録にも2箇所の住職をしていたと残っているので、実在の人物です。
峨山(がさん)禅師だったかなあ、思い出せません。


お釈迦様(ブッダ)にも、全インドに説法に行くのに、空間をワープしたと可能性があるとされています。

これらは、チャクラが目覚めているというより、瞑想の力です。
パタンジャリPatanjali の『ヨーガ・スートラ』の "samadhi pada" には、瞑想によって身体を消す方法が書いてあります。


なので、そういう能力は否定していませんが、お釈迦様(ブッダ)も言われましたが、そういう能力は道を求めるのに障害になるとのことです。
いや、ヨーガスートラでさえ、超能力は、Kaivalya=解放liberation の障害になると書いてあるんです。



仏道つまり悟りを求める人が、超能力開発をするのは、
一億円あたって、宝くじを引き換えに行くのに、途中でいっぱい障害や誘惑があって、なかなか引き換えに行けないみたいな。。。(笑)


本当の仏道修行を知ったことは、宝くじに当たるより凄いことなんだと、ある老師が言われました。



ありました!
数十キロ離れた寺院を毎日行き来した怪僧、やはり峨山韶碩禅師(ぜんじ)でした。↓



瞑想で眠くなる人へ瞑想で眠くならない方法 

瞑想は目を閉じるのはウソ(間違い) 

もご覧ください。


超能力を行使して50km離れた2つの寺院で朝の勤行をした禅僧

ここに書いてありました。
https://gasando.info/what-is-gasando/

gasando
峨山韶碩禅師(がさんじょうせきぜんじ 1275-1366)は、石川県・輪島市の總持寺(そうじじ)の2代目住職でしたが、1340年から羽咋(はくい)市の永光寺(ようこうじ)との兼務住職となりました。總持寺と永光寺との距離は50キロ(15里なら56km)。

「輪島市門前町の總持寺と羽咋市酒井町にある永光寺の住職を兼ねていた暦応3年(1340年)から20余年間、往来した両寺を結ぶ13里(52km 正確には49km)の山道で、禅師は毎朝未明に永光寺の朝課を勤め、13里の険しい道を越えて、總持寺の朝の読経に間に合わせたと伝えられる。」

あり得ないでしょう。
上記の記事に掲載されている写真の石碑には、「十五里」って書いてありますね。
それなら 15✕3.75=56km  です。
Google Mapで總持寺と永光寺の距離を測ると、67km でも、峨山さんは山道のショートカットを使ったそうですから、やはり、56kmというのは間違いなさそうです。
昔だから、今とは、一里の単位が違っていたわけでもなさそうですし、昔は2つの寺の距離が近かったという訳でもなさそうです。時々寺は移動させることがありますからね。


50km、56kmなんて。
私も歩いたことありますが、1日30kmから40kmが限界ですよ。
それにその峨山道は山道です。

docodemodoor仮に50キロ行けたとしても、それ以外何もできないです。1日歩くだけになります。
まあ、朝課ぐらいできると思いますが。
しかもそれを20数年続けるなんて。

この方、91歳まで生きておられますから、生命力は豊富だったのでしょうけれど、さすがに考えられません。


1275年生まれの峨山さんが兼務住職になったのは1340年ですから、その時なんと65歳、65歳から20年以上を往復されたのです。益々難しいでしょう。

絶対に峨山さんは、「どこでもドア」を持っていたんですよ。もしくは超能力です。

曹洞宗本山も素直にそれを認めてほしいです(笑)

【新事実判明】現地に詳しい人に尋ねてみると、諸説あって、峨山禅師は永光寺の晩課(夕方のお経)を務めてから次の日の總持寺の朝課を務められたという説もあり、永光寺の朝課を務めたら次の日は總持寺で朝課を務めたという説もあるようです。それなら1日歩くのは60km足らずになり、超能力やどこでもドアは要らないのですが、それでも65歳から90歳近くまで毎日60km歩くというのは超人ですよ。
アスリート並みです。
寛平ちゃんならできるかもしれません。

恐るべし峨山さん。


そう言えば、明治時代の臨済宗にも、13km歩いて毎日老師に独参に通った禅僧がいました。
これなら可能ですね。京都八幡の匡道(きょうどう)和尚です。
それでも毎日往復26kmですから、競歩並みの時速8kmという早足でも3時間15分かかります。自分の修行もしないといけないですし、おそらく睡眠時間を削っていたと思います。


峨山禅師(ぜんじ 1275-1366)は、もともと天台宗の僧侶で(ていいますか、当時はまだ禅宗寺院はほとんどありません)、修験道(しゅげんどう)を学んだとされています。なので山道を歩くのは得意だったんでしょうね。

ところが、この方、行脚(あんぎゃ)していて曹洞宗の太祖(たいそ)と言われる瑩山(けいざん)禅師にたまたま出会いました(多分そこで会話を交わし、瑩山禅師が普通のお坊さんではないと知ったのでしょうね) 
峨山さんは、あらためて瑩山禅師を訪ねて弟子入りして修行をして、わずか2年で大悟されています。



この峨山韶碩禅師から、錚々たるお弟子さんが輩出して、それまで北陸に局地的に栄えていただけの曹洞宗が日本全国に広まったのです。

その功労者が峨山禅師とそのお師匠様の瑩山禅師(けいざんぜんじ)
ですので、お師匠様の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師は太祖(たいそ)、曹洞宗の道元禅師は高祖(こうそ)として崇敬されています。

ちなみに上の峨山道の逸話のことを詳しく教えてくれた僧侶によると、瑩山紹瑾禅師の2大弟子のもう一人、明峰素哲禅師にもたくさんの後継ぎが居て、その中の大智禅師は相当凄いとのこと。法の明峰素哲と言われる方。
時代によって、逸材が輩出する時は輩出するものですね。



峨山さんは、瑩山禅師の2大弟子の一人。
只者ではないのは事実です。鎌倉時代(1185-1333)から南北朝時代(1336-1392)のことです。



瞑想で眠くなる人へ瞑想で眠くならない方法 

瞑想は目を閉じるのはウソ(間違い) 

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