攝心に3ヶ月連続して坐禅に励んだら、睡眠中にまったく夢を見なくなった体験ー阿羅漢果ではないですけど

坐禅中の雲水たち2
ある年のこと、10月に7日間、11月に7日間、12月に7日間と摂心に参加して坐禅三昧の生活をしたことがあります。

摂心のスケジュール

摂心(せっしん 接心)とは、一日中坐禅に励む期間です。日本の禅宗では近年は最大7日間です。

当時の攝心期間中、そんなに厳しいスケジュールではありませんでした。
振鈴(しんれい=起床)は冬時間なので遅く、開枕(かいちん=就寝)は午後9時です。一日3食(精進料理 朝はお粥かゆ)、睡眠は毎日一定時間摂りました。

作務はなし、掃除もしませんでした。開浴(入浴)も上記21日間一度もなかったです。髭剃りもしません。そもそも鏡がありません。自分の顔を見ることもありません。
他人の顔も見ませんでしたね。よって摂心の参加者の方々の顔が分かるのは摂心終了してからでした。


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開枕(かいちん)は午後9時ですが、一旦寝床を作って歯磨きを済ませて、禅堂に行って、12時位までは自発的に坐禅をしていました。
同じように開枕後も坐禅に励む人は他にもいました。
深夜の自発的な坐禅が終わったら、他の人の睡眠を妨げないように静かに床に就きます。

なので、睡眠時間は実質5時間です。
自分の場合は5時間を切ると日中の坐禅が眠くなるのでそこは注意していました。
いくら調子に乗っても、午前1時を回ると次の日の坐禅に差し支えるので、マックスでも午前1時までです、坐るのは。

過去かなり長い間(10年以上)、睡眠3時間以下にして失敗した経験からあまり短いのは良くないと分かっていました。
日中、作務(さむ)をしていても眠いほどでした^^;
ナポレオンには勝っていましたけどね。
(人間、馬鹿なことをしていても気づかない時は気づかないものです 睡眠時間が2時間台では、そりゃ日中でもボーッとしますよ 坐禅中は居眠りばかりになります)


その3ヶ月間の摂心では、食後は仮眠もしました。

以上のような差定(さじょう=スケジュール)で、
10月、11月、12月と3ヶ月連続して7日間ずつの攝心をしたわけです。
摂心と摂心の間は、一日2炷か3炷つまり40分×2,または40分×3ほど坐っただけです。
その時はもう道場は出ていたので、普段は普通に仕事をしています。しないと生活できません。
パソコンもスマホも使っていました。趣味はやっていません。
住職資格も取りましたが、というか、長い間僧堂に居たので自動的に一番上の住職資格が取れましたが、お寺を持つつもりはなかったのです。住職や副住職をしないと、生活を立てることで精一杯です。経済的にです。
もちろん独り身です。


そしたら12月の攝心中に、全く夢を見ない日が続きました。
何日間だったかは覚えていませんが、夢のない睡眠というとてもめずらしい経験をしたのです。

当時師事していた老師は、今から思えば悟った人ではありません。
ちょっと心理的に自分の殻が破れたことを「悟った」と勘違いしている人でした。
今も指導者を続けられています。

全く夢のない睡眠の様子はこんなです

全く夢を見ないとどんな感じかと言いますと、
寝入ったかと思うと、すぐに朝が来るんです
しかし、ちゃんと眠れた感はあります。

次の日も
寝たかと思うとすぐに朝なんです。
寝ていないという不足感は全くありません。
時間の感覚が、「寝たと思ったらすぐに起きた」という感覚なんですね。
でも充足している。

そのようなことが、何日間か連続して起こったのです。
その時の指導者は悟っている人ではなかったので、こちら参禅者が悟ることはなかったです。

おまけ:昔は摂心はなかった

昔の語録を読むと、唐代など禅の全盛時代、摂心はなかったことが分かります。
臨済禅師も黄檗禅師の道場で、いつも坐禅したままで独参にも行かなかったとあるように、摂心もいや、経行(きんひん)もなかったようです。

日本では、明治以降に摂心が確立されたようですが、江戸時代の盤珪禅師語録を読むと、摂心をしないような安居もあったようです。
摂心がないのではなくて、ずっとすわりっぱなしということです。


井上義衍老師の道場でも、初期は摂心はなくていつも坐りっぱなし、つまり常摂心だったという記録が残っています。
禅堂に入ったら、止静の鐘も経行(きんひん)の鐘もなく、ひたすら坐禅です。

もちろん、東司(とうす=便所)に行きたくなったら、黙ってそっと行きます。
食事以外は、全員禅堂で坐禅をしています。それが常摂心(じょうせっしん)。
サボることも自由です。
今の専門僧堂だったら大衆と違うことをすることは許されませんが、常摂心の場合は、サボる人も居たようです。自分のために修行しているのですから、だれも何も咎めません。

しかし、サボる人が多くなったり勝手気ままに行動する修行者が多くなってくるとやむを得ず規矩(きく=規則)を作って、一斉に行動させるようになったのです。

道元禅師は、宋代の中国で大悟されて帰朝される時に、向こうの規矩などもすべて学んで、国に持ち帰られています。
道元禅師の道場では最初から清規(しんぎ)通りに運営をされていたようです。
わがままを許さないようにです。

阿羅漢果を得た人(悟った人)は夢を見ない?

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本当かどうかは知りませんが、完全な悟りを得た阿羅漢は夢を見ないと云う人がいますが(多分でっち上げだと思います)、その時のわたしは悟ったわけではありません。
夢を見なかったというだけです。


後日、
昔からの修行仲間のある僧侶ーとても坐禅に励んでいる人ですーに、雑談の最中にそういう経験をした事を告げたら、

「ああ、僕はいつもそうだけど」

と言われました。
攝心中だけ夢を見ないのか、それともいつも坐禅に励んでいると夢を見ないのか、それは聞かなかったので分かりませんが、彼にとってはあたり前のことのようでした。

なーんだ。

ちーん。

それで終わり。

たいしたことではないんだなと思いました。


ちなみにそのお坊さんは、出家前に一瞥体験があり(それを見性(けんしょう)だと思い込んでいました)、道を究めるために当時お付き合いしていた彼女と別れて出家した人で、出家後も大変坐禅に打ち込んでいました。
彼も住職資格を取るために僧堂に来たのではなかったから真剣でした。

僕は僧堂2つ安居しましたが、彼は3つの僧堂で安居しました。そのあと、寺の住職になりました。
専門僧堂の老師や管長になっている老師には悟ったお坊さんが居ないと当時我々二人は言っていました。公案を次から次へと1700則もやるような修行体系では、悟れないと我々は言っていました。あくまでも個人的感想・意見です。

夢を見ない=念が起きなくなる? 念が起きなくなるのは坐禅の目的ではない

わたしは僧堂では悟った老師には出会えず、僧堂安居を終えてしばらく経ってから、やっと正師(しょうし)に巡り会えたのです。
彼らは、「自分もできたので、あなたもできますよ(=悟れますよ)、そのためには修行方法を間違えてはいけませんよ」と異口同音に言われます。


このブログで名前を出したことの有る或る老師に、就寝中にまったく夢を見ない経験があったことを話して、それはどういう訳なんでしょうかと質問しましたら、
一人の老師は、まったく無言でした。答えはなかったです。
突っ込んで質問しなかったので、無言の理由は分かりません。
おそらくご自分にそういう経験がなかったのだと思います。

そもそも昔の経験を別の老師に質問すること自体がおかしいと今は思います。


もう一人、松本自證老師に同じように尋ねてみたところ、しばらく無言でしたが、
「それは、清浄になったんでしょうね」
と言われました。

つまり、単に念がなくなったということ
だと思います。
坐禅の目的は念がなくなることではないです。


夢を見ないことと、悟ること、ハッキリすることとは全く無関係のことだと思っています。
単に夢を見なかったと言うだけのことです。

ハッキリした人(悟った人)でも、念は起こるわけですから、夢だって見ることもあるでしょう。
夢を見ないからと言って、自慢することでもありません。

夢は仮眠に必須

私の場合、今はもちろん睡眠中夢を見ます。
仮眠の時は、一瞬でも夢を見ると、眠さが消えるので夢はむしろ役に立っていますね。仮眠には夢は必須です。レム睡眠です。
それこそ深い眠り(ノンレム睡眠)に入ると、起きた後に眠くてしようがありません。つまり仮眠として失敗となります。
言い方を変えると、仮眠を15分以内とかにするのは深い眠りに入らないようにしているからです。

厳密に言うと、仮眠中に、夢が出てこなくても色んな念が起こるままで、それで眠気が飛んでしまうこともあります。
夢はどうも疲労回復に役立つと今は思っています。


おまけに、
坐禅中、瞑想中に夢を見るのは、坐禅・瞑想しているのではなくて眠ってしまっているのです。ご注意下さい。
もっと言えば、坐禅中に眠っても夢を見ない場合も多いです。
坐禅中に眠っていて、自分ではちゃんと坐禅をしていると思いこんでいる人とても多いですよ。
ベテランのお坊さん、長年坐禅修行している男女で、瞑想中・坐禅中に無自覚に眠っている人とても多いです。

正しい坐禅の指導を受けずに、あるいは、自分の坐禅をチェックしてもらわずに坐禅を続けると、行き着く先は、「居眠り坐禅」です。
『坐禅・参禅の正しい指導者に師事するとこう変わる例』を読む

預流果、一来果、不還果、阿羅漢果はでっち上げ?

ここからは管理人の妄想です。何の根拠もないです。
「阿羅漢は夢を見ない」とか言う人がいるようですが、それで思っていることがあります。
以下は管理人のあくまで想像です。文献的に考証をした結果でありません。
憶測、妄想と思ってお読み下さい。

小乗仏教や上座部仏教によると、悟りには段階があって
(第1段階) 預流果(よるか:悟りの流れに入ったという結果) 有身見を離れることができる
(第2段階) 一来果(いちらいか:あと一回生まれ変わって悟らないといけない)
(第3段階) 不還果(ふげんか:もう生まれ変わらないので、この生で阿羅漢果まで到達できる)
(第4段階) 阿羅漢果(あらかんか:完璧な悟り 出家していないと阿羅漢果を得られない)
の四段階あって、最後の阿羅漢果が完全な悟りだそうです。

管理人は、これは、悟れなかった僧侶グループが作った虚構だと思っています。
そもそも生れ変わりが前提となっています。
仏道の大前提は無我なのに何が生れ変わると言うのでしょうか?
外道の教え?

結論を言えば、
預流果、一来果、不還果、阿羅漢果という悟りの4つのステージは後世にでっち挙げられたもので、本当は、悟り=阿羅漢果 で、「悟りに段階はない」
ということが初期仏教の文献にも書かれているということが近年の文献学的研究からも判明したのです。
しかも、「阿羅漢果には、僧侶だけでなく、在家の一般男女でも到達した」という記録が初期仏教の経典に明記されているのです。


詳細は、拙稿『悟りを開いた人の4段階は誤り:預流果・一来果・不還果・阿羅漢果は戯論?』に詳述していますので、そちらをご覧下さい。



⇒ 『坐禅・参禅の正しい指導者に師事するとこう変わる例』を読む

スマホでこの記事を読まれた方は、この下に広告がありますが、その広告の下にはわたしの書いた記事が並んでいます。そちらもお読みいただくと嬉しいです。

幼くして母を失い、發心された道元禅師


13分32秒のところで、道元禅師が如浄禅師に出会える前、出会った僧・寂円(のちに渡日)に「この国が大慧派に染まっているが、どの高僧(浙翁如啖(拙庵徳光の法嗣)など)も仏法の伝持者とは思えない」と言っておられます。
大慧宗杲(だいえそうこう)禅師は、「大悟十八度、小悟その数を知らず」と豪語した方ですが、道元禅師は、如浄禅師に師事して大悟ののち、その大慧宗杲禅師を厳しく非難しています。(悟りは一回のみとされています)

本当には悟っていなかったことを見破っておられたのです。(大慧宗杲禅師の語録を道元禅師は読んでそのように判断されたのです)
大慧宗杲禅師は臨済宗楊岐派の僧。

ちなみに、道元禅師が鎌倉行きの前に、弟子の孤雲懐奘禅師に嗣書を与え伝法しておられます。
孤雲懐奘禅師はこれより前に、日本達磨宗の覚晏禅師を奈良に訪ね禅に参じ印可証明を受けておられますが、道元禅師に会い、あらためて道元禅師の弟子となって修行されました。
覚晏禅師は日本達磨(だるま)宗の大日房能忍禅師に師事して法を嗣いでいます。
大日房能忍は、独学で悟り、書簡を通じて中国の拙庵徳光禅師(臨済宗)の印可証明を得ておられます、
  拙庵徳光(中国)⇒大日能忍(以後日本)⇒覚晏⇒孤雲懐奘
(道元禅師が如浄禅師に出会う前、映画にもあるように浙翁如啖(せつおうにょたん 啖は正しくは王へんに炎)に相見し愕然としますが、この人は拙庵徳光の後嗣ぎの1人です)

この日本達磨宗(にほんだるましゅう)からは、徹通義介禅師(てっつうぎかいぜんじ 後の永平寺3代目住職)をリーダーとして何人もの僧侶が一度に道元禅師の会下となって、越前下向の際について行きます。
最終的には日本達磨宗からは数十人が道元禅師の会下(えか)となって修行したとされています。
  天童如浄禅師(中国)⇒道元禅師(以後日本)⇒孤雲懐奘禅師⇒徹通義介禅師



禅の高僧や老師の言葉を読む
坐禅や瞑想の意外な秘訣