介護で大変だった女性が法話と坐禅で激変ー修行僧以上の境涯となり、さらに大悟した実例


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女子会社員さん、親の介護でいっぱいだったのに、法話を聞いて急に楽になる


「ある女性は、テレビ放送を見るまでは、親の介護で、本当にいっぱいいっぱいで、
息をつくことも、自分のことなど何も出来ないほどだったらしいです。

この人、テレビ放送『こころの時代』(井上哲玄老師)を見て話を聞いた途端、『そうかぁ~!』 と急に楽になったらしいんです。

今までの苦労やこれからの心配が一遍に吹っ飛んだ。


で、私のお寺に会いに来られた。


電車での体験

それから、ほどなくして、電車に乗っていて、窓から景色を見たある時に、今までのことがさらに明確になったらしいんです。

テレビを見てすぐですよ、このような体験があったのは。


修行に時間がかかるという人は、結局人の話をちゃんと聴いていないということなんだね。


でも、こういう体験も、大事に記憶に取っておいたり、あのような体験をまたしたいとか、またしようとしたら、考え方のほうに行きますから、事実からずれてしまいますよ。

―井上哲玄老師

(井上哲玄老師自身がそう言われたのではないですが、貫道老師と違い、一度も義衍老師の話を聞いたことがなくて、15歳で専門僧堂である發心寺(発心寺ほっしんじ)に修行に行き、そこで、原田祖岳老師(←決着されていない)の話を聞いたので、決着まで相当な時間がかかったようです。

ただ、発心寺に掛搭(かた・かとう)して一年目(15か16歳の時)に冬の深夜に戸外で坐禅をしていて気づいたら朝になっていて、雪でびっしょりになっていた時に、体験があったそうです。当時発心寺の指導は趙州(じょうしゅう)の無字の拈提(ねんてい)です。「ムー、ムー」とやります。

決着は50歳の時とご自身が言われています。

最初に違う話を聞いてしまうとあとで、いくら正法(しょうぼう)つまり義衍老師の話を聞いても前の(原田祖岳老師から聞いた)概念が邪魔をして正しい法の理解ができずに葛藤して、苦しまれたとのこと (昔のほとんどの僧侶みたいに得度してまず仏教の勉強をしたらそれが邪魔をします)

井上義衍老師は、確かに原田祖岳老師から印可証明を得ておられますが、それは会ってすぐに祖岳老師が義衍老師の悟境を見て印可を与えられただけで、義衍老師は祖岳老師について参禅されたことはなく、従って祖岳老師が常々どんな法を説いておられるかは知らなかったとのこと 

ただ、曹洞宗では当時めずらしく悟りを標榜する道場だったので、他の僧堂に行かせるよりはそこが良いということで、長男の哲玄老師をはじめお弟子は全員発心寺僧堂に送られて、原田祖岳老師と次の原田雪水老師に参じさせておられたのです 

ついでに言えば、哲玄老師が発心寺専門僧堂に掛搭されて、3年後くらいから、勘当覚悟で原田祖岳老師・原田雪水老師の指導する発心寺を抜け出して次から次へと浜松の龍泉寺・井上義衍老師のところに行く雲水が相次いだそうです 哲玄老師はそれがまさか自分の師匠(父)のところだとは思わなかったそうです)


正月に5日間ぶっ通しで坐禅をする

ikedazazen_FotoSketcherこの女性は、上の体験のあった次の年の新年つまり平成27年の正月3日間はずっと自宅で坐禅をしていたとのことです。

しかも、正月休みが明けて職場に行ったら、感冒の流行で休業になったので、さらに2日間また自宅で坐禅三昧でした。合計5日間坐禅をしていたことになります。



何度も言いますが、禅宗の専門僧堂で15年、20年修行したという僧侶だって、道場でみんなと一緒に7日間の接心は楽勝にできますが、5日間も連続で自宅で1人で坐禅するというようなことはできません。

それが実態です。修行僧は、努力で座禅しているからです。
または、坐禅の格好して居眠りしているから少しも力がついていません。


そもそも、専門僧堂の修行僧は、10年道場に居ようが、15年以上居ようが坐禅のやり方を知りません。
指導もないし、独参で坐禅の進捗状況をやり取りすることもないからです。
曹洞宗も臨済宗もです。



上記の女性は「坐禅中に本当に何もしていない」⇒坐禅しても疲れない⇒何日でも1人で坐禅し続けることが出来た

のです。


さらに

それから、ついに女性、大悟する

それから半年後、この女性、勤務中に、仕事上のものを見ている時に大悟されました。

詳しい状況は書けませんが、毎日の仕事の最中に大悟されたのです。