三島の耕月寺の堂頭老師(どうちょうろうし)は、新潟東山寺の川上雪担老師 (東大卒の破天荒な?僧侶) のお弟子さんです
大学卒業後に正式な弟子として入門されたようです。
自伝が耕月寺のサイトにあります。それを素にした記事です。
通常、僧侶になるには、ご縁のあるお寺で得度してもらい、そこの弟子となります。
この場合、そのお寺の住職を受業師(じゅごうし)などと言います。
そして、受業師から僧としての基本の作法や基本的お経などを習います。
これを小僧生活と言います。
年齢関係なく、小僧と呼びます。沙弥(しゃみ)です。曹洞宗では、得度したばかりの僧侶の法階は、上座(じょうざ)です。(他宗では、「上座」は一人前を表す法階になる場合があります)
年少でしたら、学校もそこから通います。
基本教育を受け終わったら、いよいよ正師を求めて修行に行きます。受業寺を離れるのです。
中国での禅の全盛時代や、江戸時代までの禅宗(曹洞宗・臨済宗)で、得度した祖師方も皆そのような経過を辿られていました。
現代は、情報社会なので、悟りを開いている正師をたやすく見つけることができます。Googleで検索すれば、このブログが見つかります。
よって、自分が求める正師(しょうし)のお寺で得度する場合があります。
自分が「この人のもとで修行したい」と思う和尚のお寺で得度した場合は、そこが修行の場ですから、どこにも行く必要はありません。
もちろん、他の修行僧に揉(も)まれる僧堂生活にも意義はあります。
事情で師匠のお寺に滞在できない場合は、どこか近所から通う必要があります。
近くにアパートを借りて通う人も実際にいます。
井上義衍老師の時代の龍泉寺には、日本全国の津々浦々から多くの雲水(修行僧)が掛搭しました。
しかし、お寺が貧しかったので、僧たちは、寺の資源を使わないように、近くのお堂で自炊したり、空き寺で托鉢しながら、義衍老師のところに修行に通っていました。
故・川上雪担せったん老師も若い時は、その一人でした。
井上義衍老師のお寺の境内にあるお堂で自炊して修行をされました。
雪担老師の修行の様子はこちらの記事『3日間坐禅し続けた修行僧ー井上義衍老師の会下の雲水達』を読む
新潟の三条市の東山寺(とうざんじ)です。
大学卒業後は、そこで師匠の雪担(せったん)老師と起居を共にされたようです。
お寺は夜も早いです。
午後9時には開枕(かいちん=坐禅が終わり、枕を広げる)です。
ですので、9時半には就寝することができます。
もちろん、自分で自主的に夜坐に出て、坐禅を組むことも構いません。
祐慈和尚の場合、朝の振鈴(しんれい=起床)が午前4時半頃でしたが、午前3時に自主的に起きて、坐禅を組まれていました。
師匠は5時に坐禅に来れば良いと言っているわけですから、
午前3時に自主的に起きるのは、なかなかできないことです。
一日、時間があれば、坐禅を組まれていたようです。
師匠も坐禅を組むより他のことをやれっ的なことは言われなかったのでしょう。
そういう師匠はありがたいものです。
日中も時間があれば坐ったそうです。
坐禅が終わっても自分がなくなってしまった。。。[ これは悟りの体験ではありません ]
発心寺の接心にも行かれています。当時の師家は原田雪渓老師です。
そのあと、歴代の兄弟子たちと違って、發心寺専門僧堂には行かず、住職資格取得のためと割り切って、近くの僧堂に安居されています。
お試しで発心寺僧堂に一週間坐りに行った時、維那(いのう)和尚つまり僧堂のリーダーをしている雲水がいじわるだったので、発心寺に行くのは嫌だったそうです。
なかなか面白い方です。
現在は静岡県三島市の耕月寺の住職をされています。
自伝が耕月寺のサイトにあります。http://kohgetsuji.justhpbs.jp/QandA.html
それを読むと、
川上せったん老師の坐禅や作務の指導が素晴らしいです。
「大学は卒業しなさい。そして車の免許を取ってから来なさい。」
出家しても車の免許がいるとは思わなかった小衲にもそういうように言ってほしかった(東山寺の弟子ではありません)
(将来田舎の寺に住職する可能性もあるので、自動車免許はある方がいいです)
「作務っていうのはな、自分が無くて、からだが勝手に動いているというふうにするんだ」
弟子がその意味を分かろうが分かるまいが、一番大事なことを言われたんですね。
近年ゴールデンウィーク中の接心は井上貫道老師を師家として拜請(はいしょう)されています。
日程は年によって多少前後します。
毎年3月1日に電話申込みが開始されます。
出家、在家の男女が摂心に参加可能です。男女それぞれに定員があり、近年は、この井上貫道老師新潟東山寺摂心は、満席となります。女性の方が先に満席となるようです。
東山寺の現住職は、川上徹宗(てっしゅう)和尚です。
松本自證師の「悟りとは何か・悟りの障害物とは」という記事を読む
松本自證師の「悟りに段階(ステージ)はないです、徐々に悟るとかはない」という記事を読む
松本自證師の「悟った後のことは悟る前は決して分からない」という記事を読む
「悟った人の喜怒哀楽はどうなるのですか」という記事を読む
松本自證師の 「悟後の修行はない」 という記事を読む
松本自證師の 「仕事は修行の邪魔にならないー動中の工夫と坐禅の仕方」 という記事を読む
大学卒業後に正式な弟子として入門されたようです。
三島の耕月寺・甲賀祐慈師の修行時代
自伝が耕月寺のサイトにあります。それを素にした記事です。
祐慈和尚、雪担老師の弟子となる
通常、僧侶になるには、ご縁のあるお寺で得度してもらい、そこの弟子となります。
この場合、そのお寺の住職を受業師(じゅごうし)などと言います。
そして、受業師から僧としての基本の作法や基本的お経などを習います。
これを小僧生活と言います。
年齢関係なく、小僧と呼びます。沙弥(しゃみ)です。曹洞宗では、得度したばかりの僧侶の法階は、上座(じょうざ)です。(他宗では、「上座」は一人前を表す法階になる場合があります)
年少でしたら、学校もそこから通います。
基本教育を受け終わったら、いよいよ正師を求めて修行に行きます。受業寺を離れるのです。
中国での禅の全盛時代や、江戸時代までの禅宗(曹洞宗・臨済宗)で、得度した祖師方も皆そのような経過を辿られていました。
現代は、情報社会なので、悟りを開いている正師をたやすく見つけることができます。Googleで検索すれば、このブログが見つかります。
よって、自分が求める正師(しょうし)のお寺で得度する場合があります。
自分が「この人のもとで修行したい」と思う和尚のお寺で得度した場合は、そこが修行の場ですから、どこにも行く必要はありません。
もちろん、他の修行僧に揉(も)まれる僧堂生活にも意義はあります。
事情で師匠のお寺に滞在できない場合は、どこか近所から通う必要があります。
近くにアパートを借りて通う人も実際にいます。
井上義衍老師の時代の龍泉寺には、日本全国の津々浦々から多くの雲水(修行僧)が掛搭しました。
しかし、お寺が貧しかったので、僧たちは、寺の資源を使わないように、近くのお堂で自炊したり、空き寺で托鉢しながら、義衍老師のところに修行に通っていました。
故・川上雪担せったん老師も若い時は、その一人でした。
井上義衍老師のお寺の境内にあるお堂で自炊して修行をされました。
雪担老師の修行の様子はこちらの記事『3日間坐禅し続けた修行僧ー井上義衍老師の会下の雲水達』を読む
起きなくても良いのに午前3時に起きて坐禅に打ち込む
祐慈和尚の場合は、正師と仰ぐ川上雪担老師のお寺で弟子になったので、そこが修行道場でした。もちろん井上義衍老師はすでに遷化(せんげ)されています。時代が違います。新潟の三条市の東山寺(とうざんじ)です。
大学卒業後は、そこで師匠の雪担(せったん)老師と起居を共にされたようです。
お寺は夜も早いです。
午後9時には開枕(かいちん=坐禅が終わり、枕を広げる)です。
ですので、9時半には就寝することができます。
もちろん、自分で自主的に夜坐に出て、坐禅を組むことも構いません。
祐慈和尚の場合、朝の振鈴(しんれい=起床)が午前4時半頃でしたが、午前3時に自主的に起きて、坐禅を組まれていました。
師匠は5時に坐禅に来れば良いと言っているわけですから、
午前3時に自主的に起きるのは、なかなかできないことです。
一日、時間があれば、坐禅を組まれていたようです。
師匠も坐禅を組むより他のことをやれっ的なことは言われなかったのでしょう。
そういう師匠はありがたいものです。
日中も時間があれば坐ったそうです。
自分の中に雨が降っている体験
ある時は、自分の中に雨が降るというような体験もあったようです。坐禅が終わっても自分がなくなってしまった。。。[ これは悟りの体験ではありません ]
発心寺の接心にも行かれています。当時の師家は原田雪渓老師です。
そのあと、歴代の兄弟子たちと違って、發心寺専門僧堂には行かず、住職資格取得のためと割り切って、近くの僧堂に安居されています。
お試しで発心寺僧堂に一週間坐りに行った時、維那(いのう)和尚つまり僧堂のリーダーをしている雲水がいじわるだったので、発心寺に行くのは嫌だったそうです。
なかなか面白い方です。
現在は静岡県三島市の耕月寺の住職をされています。
自伝が耕月寺のサイトにあります。http://kohgetsuji.justhpbs.jp/QandA.html
それを読むと、
川上せったん老師の坐禅や作務の指導が素晴らしいです。
「大学は卒業しなさい。そして車の免許を取ってから来なさい。」
出家しても車の免許がいるとは思わなかった小衲にもそういうように言ってほしかった(東山寺の弟子ではありません)
(将来田舎の寺に住職する可能性もあるので、自動車免許はある方がいいです)
「作務っていうのはな、自分が無くて、からだが勝手に動いているというふうにするんだ」
弟子がその意味を分かろうが分かるまいが、一番大事なことを言われたんですね。
井上貫道老師の新潟東山寺摂心
なお、師匠である故・川上雪担老師の寺院、新潟の三条市の東山寺(とうざんじ)では年に数回摂心が行われています。近年ゴールデンウィーク中の接心は井上貫道老師を師家として拜請(はいしょう)されています。
日程は年によって多少前後します。
毎年3月1日に電話申込みが開始されます。
出家、在家の男女が摂心に参加可能です。男女それぞれに定員があり、近年は、この井上貫道老師新潟東山寺摂心は、満席となります。女性の方が先に満席となるようです。
東山寺の現住職は、川上徹宗(てっしゅう)和尚です。
松本自證師の「悟りとは何か・悟りの障害物とは」という記事を読む
松本自證師の「悟りに段階(ステージ)はないです、徐々に悟るとかはない」という記事を読む
松本自證師の「悟った後のことは悟る前は決して分からない」という記事を読む
「悟った人の喜怒哀楽はどうなるのですか」という記事を読む
松本自證師の 「悟後の修行はない」 という記事を読む
松本自證師の 「仕事は修行の邪魔にならないー動中の工夫と坐禅の仕方」 という記事を読む