悟りに段階はない:預流,一来,不還,阿羅漢と悟りに四段階あるという仏教の説は後世の作為・ウソ

arhats
阿羅漢(Arhats)たち
 在家の人も阿羅漢(悟りを開いた人)になれるという別の記事を読む

下の記事では、文献的に
・上座部仏教徒の信じている悟りの4段階が後世に作られたもの、そして
・お釈迦様在世当時から、僧侶だけでなく、在家の人が、唯一最高の悟りである阿羅漢果を得た証拠がある
ことを述べています。
・最高の悟りである阿羅漢には、出家者しか成れないというのは、誤り。後世に出家者によって考案された理論の一つに過ぎない。

※日本で布教されている上座部仏教は、正確に言えば、分別説部であって、正当な上座部を否定した異端派になります

4stages

悟りには4ステージ(段階)があると上座部仏教(分別説部)では主張しています

小乗仏教や上座部仏教テーラヴァーダによると、悟りには段階があって
(第1段階) 預流果(よるか:悟りの流れに入ったという結果) 有身見を離れることができる
(第2段階) 一来果(いちらいか:あと一回生まれ変わって悟らないといけない)
(第3段階) 不還果(ふげんか:もう生まれ変わらないanagaminので、この生で阿羅漢果まで到達できる)
(第4段階) 阿羅漢果(あらかんか:完璧な悟り)
の四段階あって、最後の阿羅漢果が完全な悟りとされています。


管理人は、これは、個人的には、悟れなかった僧侶グループが作った虚構だと思っています。
そもそも生れ変りが前提となっています。
仏道の大前提は無我なのに何が生れ変ると言うのでしょうか?
悟りに4段階あるという説は、ここで既に誤りをおかしています。

これは、外道の教えなのでしょうか?

いや、20世紀のアドヴァイタ(非二元)の聖者ラマナ・マハルシでさえこう言っています。
「無知が存在するかぎり、輪廻転生も存在するでしょう。輪廻転生は、今も、今までも、そしてこれからも存在しないのです。これが真理です。」
(無知=悟る前は、輪廻転生をするが、悟れば輪廻転生をしなくなるという意味に捉える人がいますが、ラマナはそうは言っていません 輪廻転生はない。悟らない人には輪廻転生があるように思えるだけと言っているのです)


現代の「師家」「老師」と言う、宗派が与えた資格を持った人々は別として、ちゃんと悟りを開いた禅の系譜の祖師方で、人が生れ変ると言った祖師は1人も居ないのです。
現存する方々で言えば、井上貫道老師も、松本自證老師も、長井自然老師も井上哲玄老師も、その他の祖師もです。


悟りの段階・階層の考え方がテーラヴァーダの僧侶たちの間で生まれた経緯

お釈迦様の没後、しばらくして、大きく分けて上座部と大衆(だいしゅ)部という2つのグループに分裂します(根本分裂と呼ばれています)。その上座部からは上座部を否定する分別説部というのが生まれます。大衆部によれば根本分裂によって上座部、大衆(だいしゅ)部、分別説部の三部派に分かれたとしています。
※大衆は「だいしゅ」と呼び、「だいしゅう」ではありません
現在の禅宗では、修行者全員をまとめて大衆(だいしゅ)と呼びます


現在日本で活動しているスリランカ仏教は、分別説部になります。

大衆部(だいしゅぶ)では名前の示す通り、僧侶だけでなくて在家の男女の修行者も混じっていました。
そこは、正しい仏道が伝わっていて、僧侶よりもむしろ在家の男女に悟る人(阿羅漢果を得た人)が輩出しました。ちゃんと悟っている僧侶たちが指導していたからです。

それは、上座部分別説部の独身僧侶軍団としてはまったく面白くない出来事です。すべてを捨てて出家して独身を守り、戒律も何百とあるのを厳守している僧侶が悟れなくて、俗塵にまみれている在家の人間が悟れるというのは許せない、信じられないわけです。
その気持はわたしも僧侶ですから分かります。わたし自身19年間戒律を守っていたこともありますから。その間は肉食もしていません。(上座部ではいただいたお肉は食べても戒律破ったことにはなりません)

在家の人間が悟れるなんて、それは嘘だと上座部分別説部の人は思うわけです。
当然、大衆部を指導している僧侶たちのことも信じません。そんなに簡単に悟れるはずがないじゃないか とそう思うわけです。
大衆部では、「頓悟」だと言っています。

上座部分別説部としては、そんな頓悟などある訳がない。一足飛びに完璧な悟りに到達できるはずがないと僧侶たちは考えるわけです。なぜなら出家している自分たちですら、悟りは難しいのですから。(本当はちゃんとした指導者に就かないから悟れないだけです)
なので、生れ変わりがあると思っている僧侶たちは、生まれ変わって次の人生で修行の続きをしないと阿羅漢という悟りには到達できないと、そう考えるのです。

それに悟りの段階がたくさんあると、「今生では悟れないけど」という言い訳に僧侶が使えるんですね。


でも、初期経典には、一足飛びに阿羅漢果(悟り)に達した人はたくさん出てくるんですね。
お釈迦様の直弟子・孫弟子でも在世当時阿羅漢果を得た人は500人を越えています。


上座部分別説部の僧侶たちは、それでもそれなりに瞑想修行している(個人差はあるでしょうけれど)ので、それに応じた瞑想体験はあるのでしょう。
なので、ちらっと気づいたことを預流果と名付けて、でもその先があることは分かるので、他に2段階を足し、阿羅漢果までの階梯を作り上げたのです。
そうすることで初期仏教などの文献と整合性が取れるのです。

そうやって四向四果(しこうしか)というステージ、階級が完成されたのです。
それで自分たちを納得させた。

しかも、
阿羅漢には出家した人間しか到達できません。在家の人は阿羅漢にはなれないと言うことで、在家の人に対する出家としての優位性を保ったのです。

つまり、自己満足のために四向四果の悟りのステージを作り上げたのです。

一般論としてですが、上に立ちたい人間ほど、「階級」「階層」を作りたがるんですね。


四向四果

よって、現代の上座部分別説部の仏教徒(スリランカ仏教徒)たちは、四向四果という段階があると信じています。

預流向
 ↓
預流果 srotapanna スロータパンナ シュロータパンナ
 ↓
一来向
 ↓
一来果 sakridagamin サクリダーガーミン(←サクリダアーガーミン)
 ↓
不還向
 ↓
不還果 anagamin アナーガーミン(←アナアーガーミン)
 ↓
阿羅漢向 
 ↓
阿羅漢果 arhat アルハット


現代の日本には僧侶じゃない在家でも悟りを開いた人がいる事実がある

ちなみに大衆部は以後発展して大乗仏教(Mahayanaマハーヤーナ)と呼ばれるようになります。日本に今伝わる禅はこの大乗仏教です。悟りを開いた人(阿羅漢果を得た人)が僧侶にも在家(出家していない一般男女)にもいます。


以上の文章を書いたあとで、管理人の妄想を支持してくれる「阿羅漢について」の興味深い博士論文ともう一つ「在家阿羅漢」についての論文を見つけました。
以下にその論文の内容を要約しておきます。

阿羅漢の学問的研究ー李弼元氏(大韓民国)の佛教大学学位論文(博士論文)から

主要なポイントを抜き出すと、
・初期仏教から在家者も解脱できるという考えがあった
・[部派仏教の発展の過程で]さらに、出家者に限っていた阿羅漢への可能性が在家者まで拡がったと説く「在家阿羅漢論」※ から阿羅漢の概念の変遷を追う。
・古層文献には[第3ステージの]不還と[第4ステージの]阿羅漢との区別が明確でない
・四果のうち、一来は歴史的に一番最後に付け加わった

ということが研究成果として発表されています。
※「在家阿羅漢論」は、在家者が阿羅漢になりうるかどうかという論である。この問題が提起されたのは、主に部派仏教時代の大衆部系の北道派によってであるが、当時の仏教教団においてこのような阿羅漢説が提起される背景を考察し、それを仏教における阿羅漢の一つの大きな変遷と捉える。しかし一方で、初期仏教から在家者も解脱できるという考えがその底流にあったものと考えている。

悟りは阿羅漢果のことであり、預流果は悟り損ね  つまり、悟りに段階はない

以上のことを考察すると
・不還=阿羅漢
・一来は本来無かった
・僧侶じゃない在家の男女でも阿羅漢果つまり悟りを得られる、解脱できる
のですから、
預流(よる)⇒一来⇒不還⇒阿羅漢
のうち、一来と不還(ふげん)が不要で
預流果と阿羅漢果しかないとも言えますね。

預流⇒阿羅漢

つまり、
悟り損ね(鑑覚の病が残る)(=預流果)と悟り(阿羅漢果)ということになります。
そして、在家の人も阿羅漢果を得ることができるということです。


上座部分別説部・仏教徒の前に阿羅漢果を達した人が居て、その指導を受ければ、在家の人でも阿羅漢になる人が出て、一挙に様相が変わるはずです。
僧侶のみが解脱=阿羅漢に達するというのは後世の戯論です。
悟りに4段階あるというのも妄想です。


なんか、これでスッキリしました。

数年前、浄土真宗僧侶である藤本晃氏の『悟りの4つのステージ 預流果,一来果,不還果,阿羅漢果』を付箋をつけながら熟読して、疑問がいっぱい起こったのですが、今回解決したような気分です。

人間すぐに階層・ヒエラルキーを作って、差別をしたがるんですね。優越感を持ちたがる。
人間のマインドは、悟りが1個というより4段階あるという方が納得するのです。

悟りに段階がある方が、特に僧侶は言い訳がしやすのです。
西洋人だったら、僧侶に「あなたは悟っているのか?」と直接聞きますしね。
4stagesofenlightenmentbyfujimoto
この本のレビューですが、20%の人が星1個です。かなりの評価の低い本ということになります。たとえば、この本『悟りの4ステージ』の星1個のレビューを紹介しますと:
「無知が存在するかぎり、輪廻転生も存在するでしょう。輪廻転生は、今も、今までも、そしてこれからも存在しないのです。これが真理です。」
「誕生は身体のものでしかない。」(ラマナ・マハルシとの対話 第二巻)
(中略)
スリランカ仏教(分別説部)シャム派は、善悪の分別判断の絶対基準であるパーリ経典が教団存続の生命線です。
ブッダの話した「言語」がパーリ語だから「パーリ経典が仏陀の話した真理の言葉」で他の言語の経典は偽教典だと主張するのは、パーリ経典が真理の言葉かどうかは教団の存続に関わる生命線だからです。
大乗仏教、般若心経、以心伝心、教外別伝、不立文字等が教える「真理は言葉では語れない」という事実は、パーリ経典が唯一の仏陀の語った「真理の言葉」だと主張するスリランカ仏教(分別説部)教団にとって、決して認めることができない不都合な真実です。
「真理はたとえブッダでも語ることはできないのに、ダンマパダ(真理の言葉)」。
現実歪曲空間に要注意です。

お釈迦様が生まれて布教をした北東インドのマガダ語圏で、行ったこともない西インドの言語のパーリ語を話す訳ありません。パーリ語を話した証拠などありません。
証拠もないのに、仏陀の誕生と成道と涅槃を同じ日にしてしまうようないい加減な人たちに、2500年も前の、紀元前の言い伝えの口伝が元の教えを一字一句違わず伝えられると本当に思いますか。以上レビュー終わり
satorinokaitei
ちなみに、もう一度調べると、管理人が読んだのは同じテーマを扱う同著者・藤本晃氏の『悟りの階梯』(サンガ,2008年)という上の写真の書籍でした。


在家の人も阿羅漢になれるという記事を読む

在家阿羅漢の論文より

在家阿羅漢の資料 森 章司氏のより

[1-1]「在家者と出家者は同じ悟りを得られるか,得られないか」というテーマの「悟り」は,原始仏教が目指した究極的な悟りを指すものでなければ意味がないことはいうまでもないであろう。
「悟り」を「在家者」が得たという例,ないしは得られるという「文証」を,原始仏教聖典において調査することから始めよう。

[1-2]最初に在家信者が「阿羅漢果」を得たと解釈されうる資料を掲げる。“Apadana”には次のようなものがある。
「舎衛国の大富豪の家に生まれ,私は生まれて7歳にして阿羅漢になった,仏であって眼を倶する者は私の徳を知って受具せしめた(jatiya sattame vasse,arahattamapapupirp, upasampadayi buddho, gurlamafi.riayaya cakkhuma)(3-23 NDPG vol. I p.88)
これは阿羅漢となってからすぐに出家して「具足戒」を得て,比丘になってはいるが,少なくとも阿羅漢果を得たのは在家時代である


[1-3]後のアビダルマ文献にも取り上げられる「在家阿羅漢」のよく知られた人物は、五比丘に対する初転法輪の直後のヤサ(Yasa)である。この様子をパーV“Vina}ra’によって要約してみると次のようになる。
 長者の子ヤサは三時殿に住みぜいたくな暮らしをしていたが,世の無常を感じていた。ちょうどそのとき仙人堕処鹿野苑(lsipatana-migadaya)において釈尊に会い,四諦の教えを聞いて法眼を得る。ヤサのいないのに気がっいたヤサの父親はヤサを探して鹿野苑にやってくるが,釈尊が神通力によってヤサの姿を見えないようにした。そしてヤサの父親も釈尊の四諦の教えを聞いて法眼を得る。これによってヤサの父親は優婆塞となる。この父親に対する説法を聞いて,「見るにしたがい(yathad叫ha甲),聴くにしたがって(yathaviditarp)地を観察したヤサは(bhamirp paccavekkhantassa)執著なく漏から心解脱した(anupadaya asavehi cittarp vimuccD」。
 そのとき世尊は次のように考えられた。「ヤサは心解脱した。たとい以前の在家の状態にあったとしても,族姓の子ヤサは卑俗に戻って欲を享受することはできまい(abhabbo kho yaso kulaputto hinayavattitva kame paribhufijiturp seyyathapi pubbe agarikabhOto)」。そこで世尊は神通を解かれた。父親はヤサを見て,家に帰ろうと言う。そこで世尊はヤサの父親に向かって,
  「ヤサはあなたと同じように法眼を得,その上に心解脱を得た。ヤサは以前の在家の状態にあったように,卑俗に戻って欲を享受することができると思いますか」
という。父親は「できません」と答え,ヤサの出家を認めざるをえなかった。ヤサは父親が帰るとすぐに世尊に出家を願い出,具足戒(善来戒)を受けた。そのときこの世界に阿羅漢は七人(釈尊†五比丘一トヤサ)となった
(tena kho pana samayena satta loke arahanto honti)D (voL I  pP.15~18,南イ云3  pp.26~32)
 この記事については『四分律」と「五分律」もほぼ同じである。『四分律』
は耶輸伽の父親に対する説法を聴いて解脱を得た部分は
  「時耶輸伽身漏尽意解,得無擬智解脱。爾時世間有阿羅漢,弟子有六仏
  為七」
とし,釈尊と父親の問答をここでも直後に出家受戒しているが,少なくとも阿羅漢果を得た時点では「在家」であったことは明らかである。

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現在私の持っているデータの中で,比丘・比丘尼などの出家者が阿羅漢果を得たとする資料は255件余あるが,あまりに煩雑となるので,この紹介は省略する。
[2--2]ところが,「’在家者は阿羅漢果を得られない1などと明言する資料は存在しないようである.したがって原始仏教においては,在家者が出家者と同じ悟りを開けないという経証はないといわなければならない。裏返していえば,在家者であっても最高の悟りを開くことができるという間接的証拠となりうるかもしれない。


以上は、
『在家阿羅漢について』

著者 森 章司 著者別名 MORI Shoji
雑誌名 東洋学論叢号 26ページ 166-145
発行年 2001-03
URL  http://id.nii.ac.jp/1060/00003271/  ←ここで原文が読めます

「在家阿羅漢」つまり、在家のままで最高の阿羅漢の悟りを開くことができるという証拠は初期経典にあるという論文が他にもあります。
『ダンマパダアッタカター』 における在家阿羅漢 についての一考察, 香月 拓
です。

結論:
・悟りは阿羅漢果のことであり、悟りの段階はない
・悟りの4ステージは間違い:預流,一来,不還,阿羅漢の悟りの4段階はなくて阿羅漢果のみが「悟り」である   不還=阿羅漢であり、一来は後世に付け足したもの
・悟り(阿羅漢果)は出家・在家に関係なく到達ができる

在家の人も阿羅漢になれるという記事を読む

上座部分別説部仏教徒の方々、以上のような結論が出ました。申し訳ございません。
阿羅漢果を得た方による「悟りの4ステージ」の再考・整理をお願い申し上げる次第です。
ただし、自称「阿羅漢」ではダメですよ。


以上は、記事『坐禅を集中的にしたら夢を一切見なくなったー3ヶ月連続摂心に参加したら』の最後に書き加えていた内容ですが、あらたに拙稿を支持してくれるような論文を見出したこともあり、独立の記事としました
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出家しないで在家で悟る人へ期待します

僧侶である私自身の個人的印象としては、今の時代、僧侶よりも、むしろ多忙な生活を送る在家の方々つまり一般男女の方が、正しい指導者に師事して、正しく坐れば、悟ること(阿羅漢果を得る)ができやすいと思っています。
このブログを立ち上げた理由もそこにあります。
もちろん、僧堂安居を終えた僧侶の方々にも修行方法を知っていただき、道を究めていただきたいと思っています。


『阿羅漢は夢を見ない? 坐禅を集中的にしたら夢をまったく見なくなった体験』 を読む

⇒ 『坐禅・参禅の正しい指導者に師事するとこう変わる例』を読む




禅の高僧や老師の言葉を読む
坐禅や瞑想の意外な秘訣


この上の動画を見た人が下のようなコメントを書いています【重 要】↓
「乳がん治療中の母の足の甲に、看護師のミスで、一滴の抗がん剤が、落ちました。どんどん足の甲の肉が溶け、骨が見えるまで、大きな穴が開きました。医師も看護師も謝らず、消毒するだけ。死ぬまで大きな穴が開いたままでした。抗がん剤が肉をも溶かすマスタードガスだと知ったのはその後です。乳がん摘出した後の抗がん剤、しかし、すぐに肝臓がんとなり、家に帰され、死にました。体中腫れ、鼻血が止まらず、何度も救急病院へ。家族が抗がん剤信仰で、私は反対するものの、誰も聞く耳持たずでした。病院は大◯府立のがんセンターです。この動画を拝見して、また怒りがこみ上げてきました。母は殺されたんだ…と。まさに香典医療です。最後まで、搾り取る。本当に、悔しいです。」
仏教では、人を誤らせるものは、貪瞋痴の三毒だと云います。
貪は貪欲ー必要以上に儲けよう、どんどん利益を貪ろうという気持ち
貪瞋痴の痴とは、間違った知識、知識の悪用 です。
三毒を飲ませられた医師って多いのです。製薬メーカーも同じです。



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