大悟された曹洞宗・瑩山紹瑾禅師の傳光録 を提唱する井上義衍老師
今日の人だって必ず大悟できますー井上義衍老師

(↑↑ 500年間出と言われた井上義衍老師 (1894-1981) この方の出現により悟りの道すなわち仏道が興隆して現在の隆盛に至っている)
井上義衍老師のことば:
今日、昔の人のように本当に大悟などできるものかという人が多いけど、これはうそです。
絶対にそういうことはない。
今日の人だって、必ずできるということです。
ただ、そういうことのあることを信じない。
それですから、せつかく坐禅儀などに方法も手段も説いてあっても、それをただ理解するだけであって、本当にやらんから分からん。
それだから、その体験がないから多数決でもって、そんなことが今日の人にできるもんか、と片付けたくなる。
もし本当に今日の人にできなんだら、経論みな焼き捨てにやならんです。教えんでもいいんです。
こんなことが本当にあります、というたって、今日説明として残っているだけで、事実がないようならうそをついている。
そういうことになるでしょ。
そういう面で大いに考えなければならんところです。
(井上義衍『無相伝光録』pp.41-42)
[井上義衍『無相伝光録』は810頁あります]
井上義衍老師『無相傳光録』については、
https://ryusenzi.com/書籍の案内/ の 14、無相傳光録 となりますが、残部わずかです。
https://ryusenzi.com/書籍の案内/
昭和に大悟された義衍老師という高僧の『無相傳光録』を法嗣の井上貫道老師が提唱中です
瑩山禅師『傳光録』の絵図のご紹介

上図は大本山曹洞宗総持寺の「『瑩山禅師行状図』を紐解く」より 詳細はリンク先をご覧ください
上記URLの要約:
『弘德圓明國師常濟大師行状圖』(『常濟大師行状圖』)は、太祖瑩山紹瑾禅師の生涯を絵と言葉で伝える作品で、大本山總持寺に所蔵される「御絵傳」のひとつです。この絵は二幅一双で、第一幅には「大日本曹洞宗太祖總持寺開山」、第二幅には「弘德圓明國師常濟大師行状圖」という題号が掲げられています。全54段にわたって絵が刻まれ、詞書が付されています。
第一幅は第一「大師眞影」から第二十七「正安三年大乗寺法要」、第二幅は第二十八「正安三年授戒説法」から第五十四「諸嶽山總持寺傳燈院」までの全五十四段に詞書を付して絵が刻され、二幅ともに上方右手より下方左手へと解きすすむ。
この作品は、原図は正安3年(1301年)に作成されています。明治42年(1909年)に瑩山禅師に明治天皇から「常濟」の諡号を賜り、改変されています。制作は大正13年(1924年)頃に行われたと考えられ、関東大震災の影響で遅れて大正14年(1925年)に披露されました。絵解きによって祖師の生涯が身近に伝えられています。[管理人による要約]
龍泉寺における『無相傳光録』提唱 by井上貫道老師(1944-) のZOOMライブ配信のお知らせ

毎月浜松龍泉寺で行われている井上貫道老師金曜禅会では、2025年3月現在、井上義衍『無相傳光録』の提唱をされています。
現在、その『無相傳光録』提唱を2024年12月より毎月ZOOMでお届けしています。
金曜禅会の予定は、龍泉寺ホームページ https://ryusenzi.com/ のトップページ中程にあります。2月21日(第3)、3月28日、4月25日、5月30日、6月20日(第3)
提唱の時間は午後7時55分くらいからとなります。そのあと質疑が行われますが、提唱の部分のみZOOMで毎月ライブ放送いたします。
井上貫道老師金曜傳光録ZOOM配信 を聴講したい方はこちら 録画ビデオも視聴可能ですのでそちらを読んでからお申込みください
瑩山紹瑾禅師ー傳光録の著者ーの生涯
お願い:高僧(僧侶)の伝記は、在家の人であっても、自分の修行に役に立てようと思って読むと意味があるように思いますので、掲載しています(管理人)
法嗣の峨山韶碩禅師(左)と師の瑩山禅師(右)
祖母・明智優婆夷みょうちうばい(生没年不詳)は、南宋への留学を終えて帰国し、京の建仁寺に寓居していた道元禅師と縁を結び、その俗弟子となった人であった
それが縁で、8歳で永平寺に入り、徹通義介(てっつうぎかい)の下で沙弥(しゃみ 雛僧・小僧のこと)となる 13歳の時、永平寺2世孤雲懐奘(こうんえじょう)について出家得度 孤雲懐奘禅師の最後の出家の弟子とされる
(この頃の僧侶は大体比叡山で学んでからそれで飽き足らずに禅宗に来るという傾向であったが禅師のように最初から永平寺で得度するのはたいへん珍しかったとされる)
【瑩山禅師の大悟】
【傳光録を師の代理として提唱 これが後世に残る大作となる】
峨山韶碩禅師ー瑩山紹瑾禅師の法嗣 92歳長寿の禅師
峨山韶碩(がさんじょうせき) 禅師(zenji)
建治元年(1275年)-正平21年/貞治5年10月20日(1366年11月23日)
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての曹洞宗の僧。能登国の出身。總持寺(そうじじ)第2世。平成27年は二祖・峨山禅師の650回大遠忌
[總持寺は、元々本山であった能登の總持寺祖院と今の大本山・總持寺(横浜の鶴見区の総持寺)とがあります]
峨山韶碩禅師の略歴
16歳の時比叡山で出家し、円宗に師事して天台教学を学んだ。一説には白山修験道の行者であったともいう。永仁5年(1297年)、上洛途中の瑩山紹瑾に出会う。
正安元年(1299年)、加賀国大乗寺の瑩山のもとを訪れ、徳治元年(1306年)瑩山禅師から印可を受けた。
元亨元年(1321年)瑩山から嗣法し、正中元年(1324年)總持寺2世となり曹洞宗発展の基礎を築いた。
峨山禅師は永光寺(石川県羽咋市)に輪住制を置いた先師瑩山禅師にならい總持寺を輪住寺と定めた。門下には「峨山二十五哲」と呼ばれた多くの優れた弟子がいたが、特に太源宗真、通幻寂霊、無端祖環、大徹宗令、実峰良秀にそれぞれ塔頭寺院を開かせ、總持寺住職はこの五院住職の輪番とした。
暦応3年(1340年)、永光寺(ようこうじ)住職を兼任し、入寂するまで20余年にわたって両寺を往還しながら全国に教線を拡大した。
貞治5年(1366年)92歳で入寂。
明峰素哲禅師―瑩山禅師の印可証明を受ける
明峰素哲(めいほうそてつ)禅師(zenji)
明峰素哲 (建治3年(1277年)-観応元年/正平5年3月28日(1350年5月5日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての曹洞宗の僧。俗姓は富樫氏。諱は素哲。道号は明峰 めいほう。
当初比叡山に上って出家して受戒したが、その後、臨済宗の鎌倉建長寺に移り、さらに加賀国大乗寺に瑩山紹瑾をたずねてその門下となった。
長い期間参禅しその印可を受けた。その後加賀国伝燈寺の恭翁運良に参禅し、大乗寺・永光寺の住持を歴任した後、越中国の光禅寺を創建して第1世となった。
彼の法を継承した弟子二十余人,法流は明峰派と呼ばれ,峨山派とともに曹洞宗の二大門流となった。「法は明峰」とされた。