禅とは単を示すと書きますー松本自證師禅は単純を示すことです―思考・考えではないのです松本自證老師が修行中のこと すでにある程度の体験をされて修行が進んでいたようです隣の人が、「禅は難しい」というようなことを言いながら、松本氏に話しかけてきました。すると松
禅のエピソード
午前3時に起きて自主的に坐禅をしていた男ー川上雪担老師のお弟子
三島の耕月寺の堂頭老師(どうちょうろうし)は、新潟東山寺の川上雪担老師 (東大卒の破天荒な?僧侶) のお弟子さんです 大学卒業後に正式な弟子として入門されたようです。三島の耕月寺・甲賀祐慈師の修行時代 自伝が耕月寺のサイトにあります。それを素にした記事です。
自宅で1日10時間の坐禅ができるようになったアルバイト青年:そのわけは
嫌な上司のせいで自宅で10時間座禅できるようになったアルバイト青年 正師に出会いながら、15年のうち、14年間、間違った坐禅をしていた人 という記事を読むなんで上司はそんなことをするんだろう工場でアルバイトをする青年がいました。井上貫道老師などの坐禅会には参加
IT系会社員が11ヶ月で見性したのは、座禅ができたから
正しく坐禅ができるようになったら、11ヶ月後に見性(けんしょう)したIT系サラリーマンごく最近の体験談です↓↓これは画像ですので、クリックしますと、その記事に移行しますそれまで、禅については何も知らなかった多忙なIT系一流企業の正社員の参禅記が記載されています。
3日間坐禅し続けた修行僧ー井上義衍老師の会下の雲水達
修行僧達はとにかくよく坐禅をしたー井上義衍老師の玉ねぎ僧堂玉ねぎ僧堂とは、托鉢に行って道端に玉葱が一個落ちていたので、それを食料として修行僧たちで分け合ったことに由来する。 浜松の井上義衍老師のお寺のこと。以下は、川上雪担老師『雲水日記四』からの引用です
【完結編】坐禅3日で自分が消えた青年:脚の痛さで死にきる
会社研修でやって来て摂心突入,3日で自分がなくなった巨漢青年この記事は、坐禅3日で自分が消えた青年:会社の研修でお寺に来て、摂心突入からの続きですこの青年は、ただ会社に正式に入社したいだけに指示された寺院にやって来ました。しかも、運の悪い?ことに、お寺がちょ
トイレの時間にも坐禅し続けて身体が消えた修行僧
坐禅し続けて身体が消えた雲水ーしかし。。。以下は、川上雪担老師の『雲水日記』 http://www17.plala.or.jp/tozanji/unsui.htmlからの抜粋です長井自然老師の自分の身体がある、自分の心がある というのは思考・考えの作り事に過ぎないを読む・動画で学ぶ身体が消えると
訂正:川上雪担和尚在錫の時の発心寺専門僧堂の蜂須賀(原田)雪渓和尚
川上雪担老師のプロフィールを訂正します 川上雪担老師のプロフィール文章中で、雪担老師が発心寺専門僧堂を抜け出て、浜松龍泉寺の井上義衍老師のところに行かれた後、それを追って、蜂須賀雪渓和尚(のちの原田雪渓老師)が、僧堂を出てやはり井上義衍老師のところに修行に行
悟りは徐々にではなくて頓悟ー遊女が目を開いて坐禅して雷鳴で悟る
坐禅をして徐々に心が浄化されて、悟るのではないです 心は汚れたことは一度もありません 「坐禅は、心にほこりがつかないように払うことではない 心なんてないのだから、」と木こりだった六祖大師が米搗きをしている時に言われましたこの六祖大師(大鑑慧能禅師だいかんえ
車の音が騒がしくて座禅にならないのですが
自宅で坐禅していると車の音が騒がしくて座禅できませんと言って、坐禅会にやって来た方悟りの体現者井上貫道老師がある坐禅会で話されました:「先日も[別の]ある坐禅会に、自宅で坐禅していると車の音が騒がしくて座禅できませんと言って、坐禅会にやって来た方がいらっし
「自分」はいない,舌はないのに、「ハイ」と言う
「自分」はいないに、「ハイ」―三遊亭圓朝師匠と西山禾山老師 続編落語家・三遊亭円朝(無舌居士むぜつこじ)が省悟された時の、圓朝(えんちょう)自身のことばが見つかりましたので掲載します [ 管理人 ] 圓=円「ある日、大和尚(西山にしやま 禾山かさん)が急に禅室に
雷を聞いて大悟した本物の僧侶―高僧にならずに黒い衣で過ごす
雷を聞いて大悟した西山禾山は一生黒衣の僧侶 西山禾山(にしやま かざん、1838年-1917年(大正6年)) は江西山大法寺の18代住職 臨済宗の師家。現在の愛媛県八幡浜市穴井出身。 道号は禾山(かざん)、諱(いみな)は玄鼓(げんく) 禾山玄鼓(かざんげんく)※僧侶の名前は、道
舌を使わない落語家・三遊亭円朝と座禅
舌を使わないで話せる落語家・三遊亭円朝と禅の西山禾山老師入間市の長井自然老師が、2018年8月25日に大阪特別坐禅会で話されたエピソードから舌を使わないで落語をしてみろって言われて坐禅に励んだ結果落語家の三遊亭円朝には、畏友の山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)居士(こ
自分を誤解して下駄で殴った殿様を見返すために禅僧になった家来(けらい)
真壁の平四郎から法身 (ほっしん)禅師(ぜんじ)へ 真壁(まかべ)の平四郎が主君の下駄を温めていたら、誤解されて下駄で額(ひたい)を割られる長井自然老師が2018年8月の大阪坐禅会で話された時の挿話(エピソード)から 下駄を尻で温めるなんてこの無礼者め 12世紀の頃、平四